今回の配達先はアメリカ・ボストン。世界一の腕を持つといわれるフルート職人の永原完一さん(57)と、京都に住む姉の千恵子さん(67)をつなぐ。完一さんが日本を離れて25年。姉は「15年前に亡くなった母と3年の約束で渡米した。生前母は“フルートで生活できるのか”と、弟をとても心配していた」と話す。
現在は自分のフルート会社を立ち上げ、社員12人で月8本ほどのフルートをハンドメイドで製作する完一さん。「数は少ないが、品質を高めるために自分の理想を設定し、それを皆に示して製作している」と、そのクオリティの高さを自負する。そんな完一さんのフルートを愛用するのは、ほとんどがプロの演奏家だ。
400もの部品を組み上げて作られる1本のフルート。一つ一つの部品は精密機械で作られるが、どうしても微妙なズレが生じるという。完一さんはそのズレを手作業で一つ一つ修正しながら組み上げていくのだ。「許容差というのは製品を作るときに必ずあるもの。フルートでは1000分の1ミリの部分もある。その誤差は手では感じられるが、機械では測れない」と完一さん。美しい音色を生み出すため、1000分の1ミリの精度でこだわる厳密で繊細な姿勢は、フルート業界でも群を抜いているといわれ、“世界一の腕”との呼び声も高い。世界最高のフルート奏者・ジェームズ・ゴールウェイ氏も、その著書の中で完一さんの作るフルートを絶賛するほどだ。
大学生の時にフルートと出会い、その美しさに魅了されて日本のフルート会社に就職した完一さん。腕利きの職人と呼ばれるようになったが、どこか物足りなさを感じ、32歳で日本を飛び出した。「日本の楽器作りは、欧米から持ち込まれた楽器を分解してコピーし、同じようなモノを作ったところから発している。結果的に形は似ているが、すべての発想が違うという気がしていた」と完一さん。ボストンに渡り25年。「自分にはこれまでの経験から理想の音がある。それはすごく頑固で強いものなんです」。完一さんのフルート製作にかける思いは、ますます強くなるばかりだ。そんな仕事ぶりを初めて見た姉は「すごいですね」と驚いた様子で、山口智充も「ものづくりの魂、楽器に対する情熱がすばらしい」と感銘を受ける。
今は妻や娘さんら家族に囲まれて幸せに暮らす完一さん。そんな幸せを一番望んでいたのは15年前に他界した母だったという。家族の温もりを教えてくれた両親のお守りを、ボロボロになった今も肌身離さず身につけている完一さん。成功した今の姿を、母に見せられなかったのが心残りだという。
そんな完一さんに日本の姉から届けられたのは、母が生前愛用していた茶碗。添えられていた手紙には「母は外国での生活をとても気にかけていた。今の成功を一番喜んでいるのは母だと思う」と、姉が伝えたかった母の思いが綴られていた。完一さんは茶碗をしみじみと眺めながら「なんとかやっています」と、母に語りかけるようにつぶやくのだった。