今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。音楽で身を立てようと奮闘するミュージシャンの増田敏夫さん(26)と、兵庫県に住む父・吉秀さん(54)、母・美伊さん(53)をつなぐ。15歳で大手音楽事務所のオーディションに合格し、高校時代からプロとしてCM音楽などを手がけていた敏夫さんは、4年前の大学3年の時に突然大学を中退して渡米。両親は「反対しました。行くのなら自分で生活しろと。それでも息子は行ってしまった」と振り返る。
そんな固い決意で日本を飛び出した敏夫さんは3年前にバンド「LA BIG VIC」を結成。クラシカルなメロディに現代的な電子音楽を融合させるのが彼らの持ち味だ。昨年5月にインディーズレーベルからデビューアルバムをリリースし、最近ようやく名前が売れ始めた。だが、まだまだバンドだけで食べて行くことは出来ず、メンバーはほかに仕事を持ちながら活動している。敏夫さんは「最終的に音楽だけで行けたら一番いいのですが…」と語る。
現在、工場だったビルを改装した家賃およそ6万5千円の共同アパートで暮らす敏夫さん。同じビルには工房用のスペースや撮影スタジオなどもあり、敏夫さんのほかに職人志望の若者やアーティストの卵ら、およそ30人が暮らしている。ニューヨークに渡るとき、父から「一切援助はしない。自分の稼ぎで生活しろ」と言い渡され、渡米直後は、デモテープを作って毎日ライブハウス巡りをし、仕事を探したという。「大学を辞めて来たので、ここでどうにかやっていくしかなかった」と敏夫さん。今もバンド活動や曲作りの合間を縫って、ほかのインディーズバンドのプロデュースや、バーでジャズの即興演奏をする出張DJ、レーベルからの依頼で曲をリミックスしたりと、さまざまな仕事をこなして月におよそ15万円を稼ぎ、なんとか生活している。そうした地道な努力が実を結び、バンドは今2つの大きなレコード会社から誘いを受けているという。ようやく手応えを感じるようになった一方で、敏夫さんは「弱気になることも毎日ですよ」と本音を吐露する。「昔の友人たちは仕事を頑張っているし、結婚して家庭を持った人もいる。そういう話を耳にすると、自分は何をやっているのか?と、孤独を感じることもある」と。
そんな迷いを胸に秘めながらも、敏夫さんは「夢はグラミー賞」と自分を奮い立たせる。実は一昨年、敏夫さんのバンドと同じようなインディーズの無名バンドがグラミー賞を獲得し、“自分達にも手が届く夢なのだ”と実感したという。
日本を離れて4年。「人生の中で今が一番楽しいかも知れない」と目を輝かせる敏夫さんの姿に、父は「子供の頃は気の弱い子だったが、成長しましたね。うれしいです」と安心する一方、母は「痩せましたね。15万円では食べたい物も食べられないのでしょう」と心配する。
そんな両親からのお届け物は、敏夫さんの大好物だった母のコロッケ。かつて、敏夫さんが反抗的になって部屋に立て籠もっていたとき、母が作るコロッケの匂いに誘われて部屋から出ていった…という思い出の食べものだ。「当時は日本で音楽をやっていく難しさに焦りを感じて、いつもイライラしていた」と振り返る敏夫さん。4年ぶりに味わうおふくろの味に、「両親に納得してもらうには、ここで成功するしかない」と、改めて成功を誓うのだった。