今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。フラワーアーティストとして奮闘する竹中健次さんと、父・照次さん(73)、母・昭子さん(66)をつなぐ。かつて父が立ち上げた植木のリース会社で結婚式などのフラワーアレンジメントを担当していた健次さんは、2年前、自分の力を試そうと父の会社を離れ、単身ニューヨークへ。父は「子供の頃、人が前に出れば自分は後ろに下がるような子だった。ニューヨークでちゃんと自立して仕事ができているのか」と心配する。
ニューヨークにある健次さんのアトリエを訪ねると、準備を進めていたのは今年創立120周年という音楽の殿堂「カーネギーホール」から依頼されたフラワーアレンジメント。その大切なオープニングコンサートでステージを飾るものだという。健次さんがカーネギーホールを任されるのは今年で4年連続で、これは史上初の快挙。それ以外にも結婚式や美容室を飾るフラワーアレンジメントの仕事をこなしたり、急なイベントが入ってきたりと、普段は一人で仕事をしている健次さんも、急遽アシスタントを雇って大忙しだ。
4人兄弟の中でも一番引っ込み思案でおとなしい性格だったという健次さん。大学卒業後は従業員100人を超える父の会社に入社。やがて“より技術を極めたい”と、ニューヨークと日本を行き来するようになり、12年の修業期間を経て2年前、本場で勝負するためニューヨークに渡った。その物静かな性格とは対照的に、健次さんが手がける作品は情熱的で斬新なアイデアにあふれ、あっという間にニューヨーカーの心を掴んだ。
カーネギーホールを飾る2日前。健次さんはアトリエでいよいよ作品作りに取り掛かる。1つの大きなプランターにはユリ40本、バラ50本、ランが45本も使われ、それが22個も並ぶ大作だ。健次さんはこの日、朝6時から食事抜きで15時間働き詰めだ。最高の音響機能や美しい彫刻がほどこされたカーネギーホールは規制も多い。搬入には「100%花粉のない状態で」と指示があり、今回使う1000本以上あるユリも、その花粉を1本ずつ手作業で取り除かなければならない。花器も安定した四角いものを使う、匂いもダメ…。それでも健次さんは「気は使うけど楽しいですよ」と話す。そしてコンサート当日。美しい秋の色彩を表現した見事な作品がホールを彩り、観客の目を楽しませた。
今は花一筋に生きる健次さん。父の元を離れ、一人でニューヨークにやって来たのには理由があった。「父や兄は自分をアピールするのが上手いけど、僕はあまり喋りが上手くない。僕はその分、内面で燃えているものを花で表現するというか…」。健次さんが明かす想いに、父は「初めて聞きました。本当に無口な子でしたが、そんな内に秘めたものがあったとは…」と驚く。
そして父から健次さんに届けられたのは、父が愛用してきた腕時計。大切な交渉の場では、右手で時計を押さえると不思議なパワーがもらえ、商談もうまくいったという。そんな父の「幸運を呼ぶ時計」を身につけた健次さんは、「“なんとかこっちで成功せぇよ”という父の想いを感じます」としみじみ語る。