今回の配達先はカナダ・バンクーバー島コートニー。スケートボードのプロを目指してこの小さな町に留学中の杉本瑛生君(17)と、東京に住む母・京子さん(41)をつなぐ。瑛生君が2歳のときに離婚した母が、女手ひとつで育ててきた息子を送り出して1年。母は「寂しいですが、手元に置いておくと彼の夢は叶えられないと思った」といい、息子の生活を案じている。
瑛生君がスケートボードを始めたのは6歳の時。みるみる上達し、小学5年から本場アメリカの大会にも参戦。13歳の時に全日本アマチュア選手権で優勝し、同年フロリダリーグでは全勝でグランドチャンピオンに輝いた。そして中学卒業後、プロを目指してスケートボードの環境が整ったカナダに留学。ホームステイをしながらこの島の高校に通い、日々スケートボードの技術を磨く日々を送っている。
現在は賞金も稼ぐようになり、ボードやシューズ、ウエアなど、スケートボードに必要なものはすべてスポンサーに提供してもらっている。だが「自分はまだプロじゃない」と瑛生君。「会社と契約して、その人の名前の入った“シグネチャーモデル”が出せるのが本当のプロ」という。「将来はプロになって巨額な給料を稼ぎ、億万長者になりたい」と大きな夢を抱くが、そんなプロになるためにはテクニックはもちろん、自分のプレースタイルを持ち、ファッションやライフスタイルまで、そのスケーターの存在そのものが憧れの対象であることが求められるという。
そんなプロを目指してカナダに渡った瑛生君。それを後押ししてくれたのは母だった。今も複数の仕事を掛け持ちして、瑛生君の留学生活を支えてくれている。「母はいつも協力的で、僕に好きなことをやらせてくれた」と瑛生君は感謝の気持ちを語る。そんな瑛生君は学校でただ一人の日本人。言葉は完璧でないが、ほかの生徒と同じ授業を受けている。学業でも努力を怠らず、昨年は地元の新聞に成績優秀者の一人として名前が載ったほど。今では信頼できる仲間にも恵まれ、ガールフレンドもでき、ホストファミリーにも愛され、充実した日々を送っている。そんな姿を見た母は「頼もしい。行かせてよかった。母子家庭で、この15年間がむしゃらに働いてきましたが、そんな私の姿を見ていてくれてたんだなぁ…」と喜ぶ。
夢に向かって歩み続ける瑛生君に、母から届けられたのは手作りのチーズケーキ。瑛生君の思い出の味だ。添えられた手紙には、瑛生君が幼い頃、ケーキを買えなかった母が、誕生日のたびに手作りしていたこと、最近ケーキ屋を始めて頑張っていることが綴られていた。母がこのケーキにつけた名前は「息子たちが愛してやまないチーズケーキ」。そんな母の想いに「もっともっと頑張らなきゃいけないと思います」と瑛生君。「夢が叶って億万長者になれたら?」と聞かれると、「まず母に家を買ってあげたい」と秘めた気持ちを語る。