今回の配達先は、小型船舶の保有率が世界最高で、世界トップレベルのボート製造技術を誇るニュージーランドのオークランド。そんな街で、船の設計と組み立てを行う職人“ボートビルダー”として働く布施弘太郎さん(41)と、横浜に住む母・喜美子さん(66)、そして姉、弟、妹をつなぐ。14年前、英語もしゃべれずこの国へやってきた弘太郎さん。母は「仕事が見つかるか心配だった。就職してからもバブルが弾けて、最初の会社がなくなったこともあった。大変だったと思う」と、これまでの息子の苦労を想う。
40歳を超え、今年また新たなボートメーカーに就職した弘太郎さん。この会社では1億円以上もする豪華クルーザーを、外装やインテリア、家具の配置まで細かく注文できるセミオーダーで受注し、すべて職人が手作業で作っている。1隻を仕上げるのに8ヶ月程度かかるという。弘太郎さんは、床や柱、壁といった骨組みから、インテリアの取り付けまでを幅広く担当。「限られた空間に設備を入れていかなければいけないが、そこを考えるのが面白いし、腕の見せ所です」と弘太郎さんは語る。船の知識はもちろん、大工の知識と技術がなくては勤まらない仕事だが、弘太郎さんはニュージーランドに来てから、それを一から学び、国家資格を取得した。
神奈川県の江の島に育ち、学生時代はバイクやジェットスキーに明け暮れた弘太郎さん。日本では船の塗装の仕事に就いたが、会社のマリン部門が縮小され、自動車部門へ移された。だがボートに関わる仕事がしたかった弘太郎さんはすっぱり会社を辞め、‘97年にボートビルダーを目指してこの国へ。「言葉ができないので、どこの会社に面接に行っても門前払いでした。悔しくてどうしてもやってやろうと…」。オークランド中のボートメーカーに飛び込みで面接を繰り返し、半年が過ぎたころ、ようやく受け入れてくれる会社が見つかった。 それから14年。「将来は独立し、これまでにない僕のブランドの船を作りたい」と語る弘太郎さん。今は2人の子供を持つ親となり、4人兄弟を育ててくれた母には、改めて尊敬の念を抱くようになったという。「今はあまり親孝行できていないが、いつか自分が作った船に母を乗せてあげたい」と想いを明かす。
そんな弘太郎さんの休日の楽しみは、尊敬するボートビルダー、マリー・プラウスさん(57)のガレージを訪ねること。マリーさんはここで船の土台から内装にいたるまで、すべてをたった一人で作っている。現在製作中のクルーザーは、仕事以外の時間をほとんど費やし、なんと8年もの歳月をかけて作り上げたものだという。弘太郎さんは「これこそが、僕が見たかったこの国のボートビルダーの“熱”なんです。彼のような人に出会えたことがうれしいし、学ぶことは多い」と興奮気味に語る。
いつか自分のブランドで船を作ることを目指し、日々奮闘する弘太郎さんへ、母から届けられたのは、弘太郎さんの大好物の筑前煮。14年ぶりに味わうおふくろの味に、弘太郎さんは「懐かしい。味は変わってないですね。元気をもらいました。まだまだがんばりたい」と、大いに励まされる。