今回の配達先はドイツのザクセンカム。この地で金管楽器職人として奮闘する勝谷広人さん(30)と、埼玉県に住む父・清一さん(59)、母・洋子さん(60)をつなぐ。両親は「将来は日本に戻ってきてほしい。でも日本で楽器職人をやるのは大変だというのもわかる…」と、気持ちは複雑そうだ。
広人さんが働く工房では、マイスターである親方と、広人さんら3人の職人が、金管楽器の“ベル”と呼ばれる朝顔のような形をした部分を作っている。どんな金管楽器でもベルの作り方は基本的に同じで、楽器ごとに型があり、それに合わせて1枚の真鍮板を切り出し、筒状に溶接し、叩き、焼き、磨くまでをすべて手作業で行っている。音楽の本場ドイツでも今は機械化が進み、一から手作りしているのは国内に100以上ある工房でも3軒だけだという。
1枚の金属板を、いかに手際よく丸い筒状に仕上げていくかが腕の見せどころ。一見、木槌でガンガンと叩いているようだが「金属がどこに延びていくのかを常に予想しながら叩いてます。実は繊細な作業なんですよ」と広人さんはいう。100分の5ミリずれるだけで音色や音程が変わってしまう繊細な仕事だが、広人さんは「そこが醍醐味」と語る。月収はおよそ24万円。ドイツでは手作りベルの需要が高く、マイスターの資格をもつ楽器職人よりも、稼ぎが多い場合もしばしばだという。
広人さんは音楽好きの父の影響で小学5年の時にバイオリンを始め、中学の吹奏楽部でトロンボーンと出会った。だが広人さんが魅了されたのはその音色ではなく、楽器の曲面の美しさだった。「すばらしい曲面で、セクシーというか…自分で作ってみたいと思いましたね。(グラフィックデザイナーの)父の影響で昔から絵を描くことや図工が好きでしたから…血なんでしょうね」。
20歳の時、「音楽の本場で楽器作りに携わりたい」と単身ドイツへ。右も左も分からないままこの世界に飛び込んだ広人さんを受け入れ、すべてを教えてくれたのが今の親方だった。それから10年。広人さんは「40歳までには親方を越えたい」と、その背中を追いかけ続ける。今は元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の主席トランペット奏者、ヴァルター・ジンガー氏(70)も広人さんのベルを愛用しており、しばしば工房を訪ねてくる。ジンガー氏は「彼はとても完璧で、正確に仕事をする。マニアックなまでに仕事を愛しているよ」と広人さんの腕を称賛する。
「ゆくゆくは独立して日本に帰りたい。でも今はのびのびと仕事をやっているので、帰るきっかけが掴めないでいる」という広人さん。一人前の職人として確固たる地位を築いた広人さんの姿に、父は「もうドイツの普通の職人さんみたいですね。息子ながら大したもんだ」と感服する。
そんな父が息子に届けたのは一組の名刺。“いつか独立した時のために”とデザイナーである父が考案したオリジナルのロゴマークがデザインされたものだ。ドイツと日本、両方の住所を入れたところに、“帰ってきてほしい”という父の秘かな想いがにじみ出る。広人さんは「父は江戸っ子なので、直接“帰ってほしい”とは、こっ恥ずかしくて言えない人。いずれは日本に帰って親孝行をしたい。私の根っこの部分ですから…」と、父の想いをしっかりと受け止める。