「杉原輝雄さん」
日本プロゴルフ界の“ドン”と呼ばれ、長年ゴルフ界の発展に尽力されてきた杉原輝雄さんお別れの会に参列してきました。
(参列者にボールが配られました)
1957年にプロ入りし、通算63勝(うちツアー54勝、海外1勝、シニアツアー8勝)をあげ、優勝回数は国内男子プロとしては尾崎将司プロ、青木功プロに次ぐ歴代3位。(但しツアー機構発足後のレギュラーツアーでは、通算28勝。)永久シードも獲得し、50年以上に渡る“生涯現役”を貫きました。
私がゴルフを始めた中学生の頃にはすでに杉原プロのピークは過ぎていましたが、あの小さな体でも粘り強いゴルフで、勝負に対する執念は子供の私にも伝わって来ました。
憧れのプロの一人でした。
1997年に前立腺癌を告知されながらも、ツアー出場を優先して手術を拒否し、投薬治療を選択。
2006年のつるやオープンでは68歳10ヶ月で予選を通過し、日本ツアーでの最年長予選通過記録を樹立。
2008年に癌が転移していることが判明した後も、放射線治療を受けながらツアー参戦を継続されました。
2010年5月の中日クラウンズでは同一大会51回連続出場という世界記録も達成され、その翌6月のミズノオープンよみうりクラシックが最後の出場となりました。
私もゴルフの番組に携わるようになって、杉原プロとは毎年10月に、循環器病チャリティーゴルフのスタジオ収録で一緒に仕事をさせて頂くようになりました。
辛口な言葉の中にも愛情溢れる表現が込められていて、誰よりもゴルフが好きで、誰よりもゴルファーを愛してる解説でした。
私にとって雲の上の存在である杉原プロとの共演は緊張の連続でしたが、とても勉強になり、毎年の楽しみでもありました。
毎年ご一緒させて頂く内に、次第に杉原プロとの呼吸が合ってくるのが分かり、それがとても嬉しかっただけに、もっともっと一緒に仕事をさせてもらいたかったです。
願わくば、プロツアーの中継でもご一緒させて頂きたかったですし、プライベートでのラウンドもご一緒させて頂きたかったです。
杉原プロがゴルフ界に残した功績もさることながら、人としてとても器の大きな方でした。
杉原プロと一緒に仕事をさせて頂いたこと、そしてその姿から学んだことは私にとって大きな財産です。
ご冥福をお祈りします。