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小澤昭博(ytvアナウンサー)『小澤昭博のゴルフナビ』

「松山選手、また快挙!」

三井住友VISA太平洋マスターズで、現在東北福祉大学生、19歳アマチュアの松山英樹選手が笑顔でプロツアー初優勝を飾りました。

アマチュアでの国内プロツアー優勝は、1980年「中四国オープン」での倉本昌弘選手、2007年「マンシングウェアオープンKSBカップ」での石川遼選手に次ぐ3人目で、19歳8カ月17日での勝利は史上3番目の年少初優勝記録です。

松山選手は今年4月に行われた「マスターズ」で日本人史上初のローアマチュア賞を獲得しており、その勇姿も記憶に新しい中で、またこの快挙です。

更に、10月にシンガポールで開催された「アジアアマチュア選手権」にディフェンディングチャンピオンとして出場し、見事2年連続優勝を飾っており、既に来年の「マスターズ」の切符も手にしています。

1月のソニーオープンで松山選手のプレーをじっくり見て話を聞き、その人柄とプレーに魅了されたことは以前このブログでも書きましたが、あれから約10カ月。その時よりも随分と心、体、プレーの全てが大きくなっているように見受けられます。

とにかくゴルフのスケールが桁外れ!

今回の勝利も最終18番ホール・パー5でのセカンドショットに全てが集約されていたような気がします。

松山選手を2打差で追いかける谷口徹プロは7番ウッドで放ち、ピンまで2メートルのイーグルチャンスにつけ、ガッツポーズも飛び出した渾身のセカンドショットでしたが、松山選手はラフからの残り177ヤードを何と8番アイアンで、ピンそば1メートルに付けてきました。

517ヤードのパー5も彼にとっては普通のパー4感覚の距離になってしまいます。

初優勝が懸かる中、2打差リードの状況を考えれば、ピンの左サイドに乗せバーディを獲る狙い方の方が確実だったはずですが、松山選手は果敢にピンを狙いました。

あの狙い方をすれば少しのミスで石川遼プロのように池ポチャをする可能性が出てきます。そんなリスクを背負いながらも彼は池により近いピンの右サイドに付けてきました。

これは誰もが出来るゴルフではありません。

今年何度かツアーでプロのキャディを経験しましたが、もし私がキャディをしていたら間違いなくピンの左サイドを狙うようにお願いしているはずです。

わざわざリスクを背負わずに確実に優勝を掴みたいですから。

それでも、彼はこの試合で貫き通した‘攻めのゴルフ’を最後の最後まで見せてくれました。

世界を相手に戦う為には、一時だけを上手く切り抜ければ良いというものではないのでしょう。

「松山は最後まで攻めきる!」この最終ホールのイーグル奪取での見事な勝ちっぷりは、間違いなく今後戦うことになるライバル達にも強烈な印象として残こったはずです。

今後優勝争いをする時には最高のアドバンテージになるでしょう。伸び盛りの19歳。これからが本当に楽しみです。

気になるプロ転向に関しては・・・

今回の優勝で2013年までにプロ宣言すれば資格が適用され、プロになることが出来るのですが、「今のところはありません。この大会に出場できたのも大学で力を付けたおかげ。ちゃんと卒業してからプロの道に行きたい。」とあくまでもアマチュアにこだわる姿勢です。

松山選手でも、大学の団体戦では悪いスコアを出してチームに迷惑をかけることもあるそうで、そういう試合も含めて大学で良い経験ができているからこそ、大舞台でも良い成績が出せるようになったのだと謙虚に考えているようです。

私も明治大学でゴルフ部に在籍し、卒業後20年間プロゴルフ界を取材していますが、松山選手には大学を卒業してからプロ転向してもらいという気持ちがあります。

ツアーで現役生活をトッププレーヤーとして過ごせるのは長くて15年から20年間程。プロとしても人間としても30代後半から40代前半という年齢に差し掛かった時に、それまでは考えることもなかった悩みや壁にぶつかります。

そういった時に大学生活で学んだことや学生時代を共に戦った仲間の存在はとても大きいものです。

プロ転向に関しては、もしかしたら既に彼の意思だけでは決められないところまで来ているかもしれませんが・・・。

4月のマスターズから帰国後、ゴルフ部の仲間と牛乳配達のボランティアをして被災地に元気を届けていたという松山選手。

この素晴らしい優勝もしっかりと被災者の方々の心に届いているはずです。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2011年11月14日(月) |

アナウンサー