いよいよ明日に迫った関西学生アメフト伝統の一戦:関京戦@西京極
6年ぶりの全勝対決に胸が高まります。
昨年、学生日本一に輝きながら社会人には敗れ悔しい想いをした関学。
今年は「真の日本一」を目指しています。
一方、打倒関学に人生をかけた水野弥一氏退任から新しいスタートを切った京大、
ここ数年になく戦力が整い、西村新監督の下、新たな歴史を作り上げます。
そして、なんと明日の放送席には…
その前監督の水野弥一氏をお迎えしてお送りします。
昨年まで京大を率いて36年。初めて母校の解説をして頂く貴重な瞬間です。
私、別の意味で緊張しております…
さらに、今年は第1試合の龍谷大学vs同志社大学も中継します。
ytvでは関京戦のみ翌28(日)26:09~27:34
【日本シリーズ中継のため遅れる可能性あり】
G+では両試合ともノーカット放送します。
京都大学vs関西学院大学→11/6 10:00~12:30
龍谷大学vs同志社大学 →11/7 10:00~12:30
<いずれも再放送もあります>
選手や関係者の想いに負けないよう私も戦います!
投稿者: 尾山憲一 日時: 2012年10月26日(金) |
アニキ金本、阪神城島、ソフトバンク小久保に広島石井琢…
今年はプロ野球界を牽引してきた大物選手の引退が相次ぎました。
ただ、この世界、来る者がいれば去る者もいるのが常です。
ここでは、元阪神の選手を中心に、私の思い出の選手をまとめました。
★オリックス北川博敏選手
94年ドラフト2位で阪神に入団。
即戦力捕手と期待されましたが、なかなか機会に恵まれず、
2000年オフに近鉄へトレード。
そこで本来の打撃力が開花し、プロ初HRをはじめリーグ優勝に貢献。
もちろん『代打逆転サヨナラ満塁優勝HR』は忘れることができません。
05年の球団合併分配ドラフトでオリックス入りしてからはケガも多く、
去年のアキレス腱断裂を乗り越えた今季は復活の年にするはずでした…
笑い顔が特徴で、若い時、苦しい練習中に「何を笑ってんねん!」と
ネタにされるシーンもありましたが、
10・7の引退試合は涙と笑顔のラストゲームでした。
★西武平尾博嗣選手
93年ドラフト2位で阪神に入団。
決して大柄ではなかったものの高校通算69HRのパンチ力が魅力でした。
細かいケガなどもありレギュラー奪取とはいかず、01年途中、谷中とのトレードで西武へ。会見での涙が思い出されます。
しかし、西武へ移籍してからは、持ち前の勝負強さと明るさを存分に発揮し、
2度のリーグ優勝・2度の日本一の力となりました。
チームカラーもあいまって「チャラ男」と呼ばれるキャラでしたが、
去年からは突然の丸坊主。理由を尋ねたら
「チームではベテランになり何かを変えないといけない。
中身を変えたところですぐに忘れてしまうけど、外見を変えれば忘れないでしょ」
と、その決意を話してくれました。
リーグ優勝を花道にはできなかったけど、
ラストCS(勝てば日本S)では出番はあるのかな???
★楽天山村宏樹投手
94年ドラフト1位で阪神に入団。
細身の身体ながらセンスと球のキレが抜群でしたが、
球団内でのトラブルで病いになるなど、順風満帆ではありませんでした。
99年オフ戦力外通告→近鉄へテスト入団を経て再び輝きを取り戻すも、
05年分配ドラフトで楽天へ。
結局ケガに泣かされたプロ野球人生でしたが、18年間まっとうしました。
昨日電話で「北川さんと同じ年にプロ入りして同じ日に引退するのが縁ですね」
と話していました。
【番外編】ヤクルト福地寿樹選手
元阪神選手ではないのですが、思い出深い選手なので…
私が若かった時、彼が広島の2軍時代に一緒に飲んだことがあるんです。
当時の先輩選手に連れられてきたのが縁だったのでした。
それ以来、球場で会うとなぜか「先輩!」と駆け寄ってくれる選手でした。
カープ時代はなかなか出場機会に恵まれず、
彼にとっての転機は06年の開幕直前のトレードで西武へ行ったこと。
持ち前の守備力や俊足を生かして活躍。
その後、08年からはFA移籍の石井一の人的補償でヤクルト入り。
08年09年と2年連続盗塁王に輝きました。
彼も常にケガを抱えての野球人生、
先日話をした時も「何試合も続けて試合に出てるときつかったんです」
と明かしてくれました。
北川選手・山村選手は披露宴の司会をした縁、
平尾選手は同じ埼玉県人会、福地選手は若い時の縁…
来年球場へ行ったら知った顔が一気にいなくなるのかと思うと、
大変寂しゅうございます。
皆さん本当にお疲れ様でした。
そんな中、もっと寂しいのが今夜のアニキの引退試合。
いつもいるのが当たり前と思っていたアニキの存在感を
この1ヶ月間ひしひしと感じました。
どんな引退試合になるのかなぁ~???
投稿者: 尾山憲一 日時: 2012年10月09日(火) |
『キャッチャーとしてキャッチャーのまま引退します』
9月28日朝番組出演のため出社した4時…一気に目が覚めた…
『阪神城島引退』が見出しのスポーツ紙
しかも主要5紙すべてが一面
春先「やめる時はキャッチャーでやめたい」と話していただけに、
今季はリハビリで終わったとしても
来季またその勇姿を見せてくれるものと信じて疑わなかった。
その日の午後、某所で行われた引退会見。
試合前だったユニフォーム姿のアニキとは違い、スーツ姿で登場したジョー
今季最後の1試合でもマスクがかぶれれば…とリハビリしていたが、
その願いも叶わなくなったことでけじめをつける決意をしたとのこと。
『キャッチャーができずに野球を続けていたら大好きな野球が嫌いになる。
引退しても子供と一緒にテレビで野球を見たいし…』
契約があと1年残っていながらもジョーの哲学がそれを許さなかった。
ジョー流のブレない美学だった。
MLBマリナーズでの出場機会が減ったジョーは
出場機会を求めて阪神へ入団。
どんな時でも我々報道陣と真正面から向き合い、
どんな時でも一切言い訳をしなかった。
角刈りの髪型、コミニュケーションとしての麻雀や釣りなど、
彼は【昭和の豪傑】だった。
今季開幕直前のMLBとのプレシーズンゲームの際、
古巣への意識や想いは一切ないとプロフェッショナリズムを強調するも、
MLB48本打ったHRのうち47本は覚えていないけど、
コローンから打った初ホームランだけは思い出の1本と素直に話してくれた。
いつも報道陣を笑いの渦に包むジョーだったが、
会見中、涙を見せたのはプロ選手としての思い出を聞かれた時。
『自分が受けてきた投手がタイトルを獲れた時や、
どんな試合展開でも一生懸命投げ続けてくれた投手に感謝したい…』
思い出のはずの自身の初安打や初HR、リーグ優勝という勲章ではなく、
味方投手陣のことだった…
2010年阪神に来ての開幕2戦目、
横浜木塚から放った阪神1号となるサヨナラHR(実況)
結果的に引退に結びついた左ひざを負傷した9月の巨人戦(実況)
オールドユニフォームとして採用した
大阪タイガース時代のブラックユニに合わせたカブトムシのようなプロテクター、
真剣に挑んだファーストで出場した今年2月のオープン戦@沖縄で発した
『18歳でプロ入りした時と同じ心境で楽しかった』(リポーター)
わずか3年だったが、ジョーは色々なインパクトを残してくれた。
会見終了後、わざわざマイクの前に戻り、
『息子には、人前で男が泣くのは人生で3回と言ってました。
1回は初優勝した時、2回目は今日…だから…4回にします』
最後に爆笑を誘った。
投稿者: 尾山憲一 日時: 2012年10月03日(水) |