さらば‘阪神の’今岡セブン… ( プロ野球 ) > ( 阪神 )
休日だった昨日の早朝、阪神球団からのメールが届いた。
「来季今岡選手と契約を結ばない。会見は○○時から…」
という趣旨。
ついに…
96年オフのドラフト以降、
ずっと見続けてきた今岡誠の最後とあって、
行かないわけにはいきません。
彼との思い出を振り返りながら、複雑な想いで会見場に顔を出した。
ドラフト直後に出演してもらった「トラトラタイガース(当時在阪唯一の虎番組)」
その時に見せてもらったアトランタ五輪の銀メダル。
吉田監督下での活躍と、野村監督下での苦悩。
2003年首位打者、2005年打点王
個人タイトルでリーグ優勝を牽引した今岡セブン。
バネ指という指の腱の故障のため、06年からの4年間は、かつての姿が見られなかった。
会見内容を要約すると、
『8月中に‘盛大な引退試合をしないか?’と球団から話があり、約1ヶ月考えたが、
今のモヤモヤした気持ちのままユニフォームは脱げない。
現役続行です。他球団からの話を待ちます』
よく新聞記事で今岡選手のことを「天才打者」と形容される。
相手投手に体制を崩されても、抜群のバットコントロールでヒットゾーンへ運ぶ。
以前、こんなことを話してくれた。
『タイミングさえ合えばヒットは簡単に打てます。あとはバットの角度』
03年は1番、05年は5番
ポジションによって求められる結果が変わってもそれに対応してきた。
『野球は相手があってのこと。
相手も僕に打たれたくないって気持ちで投げてくるんだから』
相手、ケガ、自身の体調、気持ち…
06年以降、心技体のバランスが崩れていたのは目に見えてわかった。
しかし、彼は敢えてイバラの道を選択した。
『家族は全面支援、どちらかと言えば僕の方が迷っていた。
阪神は僕を育ててくれた球団、愛着以上の気持ち、だから迷った。
でも、このままじゃ終われない、一歩前へ踏み出さないと…』
私、尾山は、
今岡誠が阪神以外のユニフォームを着ても応援し続けます。
敬称略