雨のち晴れ…男の花道 ( プロ野球 )
小学生の時、私にとっての甲子園のヒーローは、
早稲田実業の荒木大輔であり、徳島・池田高校の水野雄仁だった。
しかし、中学時代に衝撃を覚えたのはPL学園の桑田・清原の1年生コンビの出現だった。
特に清原は規格外の体とパワーをテレビ画面を通じて存分に見せつけた。
間違いなく、私の中でのスーパーヒーローだった。
その憧れの男と私の接点はFAで巨人に移籍してからのこと。
しかし、巨人時代は常に注目を集め、
良くも悪くも話題の中心にいた清原とマスコミ陣との間にはいつも距離があった。
野球小僧…
清原を知る人は必ずそう形容した。
だからこそ、マスコミの報道姿勢が理解できなかったのかもしれない。
私自身、正直近づくのが怖かった。。。
たまにしか接点がなく、挨拶をしても何を聞いても無視されそうで…
オリックスへ移籍してから、昨年1度だけ食事をさせて頂いたことがある。
スポーツ中継の実況とはまた別の緊張感…
何を話したか覚えていないくらい夢の空間だった。
1つだけ鮮明に覚えているのは、今もの凄い球を投げる投手について話が及んだ時の事。
『おぅ~やっぱ球児やなぁ~あいつの真っすぐエグイでぇ~もう漫画の世界や~
ビュビュッ…シュ~ン…ズバッって感じやわ』
満面の笑みだった清原。
もちろんケガと闘っていた最中のことだが、
阪神の藤川球児との対戦を子供のように楽しみにしていた。
2008年10月1日
高校1年生の夏から常に野球界のど真ん中にいた男がグラウンドを去った。
4番DHで出場し、最後の第4打席は豪快なスイングが空を切り三振…
オリックス応援団は、全打席で、
‘オリックス清原のテーマ ⇒ 西武時代のテーマ ⇒ 巨人時代のテーマ’
を演奏し、大声援を送った。
1人の清原ファンとして、23年間が走馬灯のように駆け巡った…
引退セレモニーの雰囲気は、ミスターこと長嶋茂雄の時を彷彿させた。
とは言っても、ミスターの引退は私が3歳の時。
もちろんライブではなく、VTRでしか見たことがない。
1974年10月14日
当時の後楽園球場でマイクに向かったミスターに、大勢のファンからは
『辞めないでくれ~言わないでくれ~』の声が飛んだ。
阪神のアニキ金本が、アニキと慕い憧れた男に涙しながら花束を渡した。
涙したアニキ金本のアニキ清原がアニキと慕うアニキ長淵剛の‘とんぼ’で球場内が1つになった。
スターはスターを呼ぶ…
アニキはアニキを慕う…
85年のドラフトで意中の巨人から指名されずに涙してから23年。
当時の巨人は王監督だった。
最後の花道にホークス王監督が「来世は一緒のチームで野球しよう」と声をかけた。
試合前から涙がこぼれていた…
王監督が勇退し、盟友・桑田も現役を退く。
清原さんは‘運命的なものを感じる’と話した。
この日の男の花道…
清原には『ありがとう!!!』の大合唱だった。
ファンも体が限界だと知っている。
恨みしかなかった巨人時代から、オリックスでは感謝することを知った。
マスコミ陣にも
『色々あったけど、良くも悪くも取り上げてもらい、こんな幸せな男はいない』
と頭を下げた。
戦う獲物を狙うような厳しい目つきはそこにはなかった。
やさしい野球小僧の目だった…
雨のち晴れ…
清原和博
私の中のスーパーヒーローは、スーパースターだった。
男の花道を見事に飾ったこの男は、いつの日か、必ずグラウンドへ帰ってくる。
敬称略