せつない季節の到来… ( プロ野球 )
10月2日をもって、プロ野球各球団から戦力外通告が始まった…
いわゆる来年の契約を結ばないというもの。
一部の主力選手を除いて、選手は基本的に単年契約なので、
この時期になると、戦々恐々としている選手もいる。
千葉ロッテの元エース黒木(愛称ジョニー)もその1人だ。
一昨年の優勝や今季2位の現在とは違い、暗黒時代を支えたエースだったが、
ケガには勝てず、本格的な復活ならずにロッテのユニフォームを脱ぐことになった。
2001年6月、大教大附属池田小学校で起きた残忍な事件
児童8人が亡くなり、残された児童らも心の病を抱えていた。
そんな状況にプロ野球選手会も黙っておらず、毎年オフになると、
慰問と元気を与えるために、児童たちを励ましてきた。
黒木も毎年大阪を訪れていた1人であった。
(左側にあるリンク→過去のブログ→2006年12月6日執筆分参照)
ここ数年は、数試合の登板であり、今季も3月にたったの1試合の登板。
事件時に小学1年生だった児童も、今年の3月に元気に卒業し中学生となった。
今度は、ジョニーが子供たちとの約束を果たす番だ。
別の球団が獲得するのか?テストやトライアウトを受けるのか?
もう一度、我々にその勇姿を見せて欲しい…
阪神タイガースでも、1回目の戦力外通告が行われた。
4人通告された中に、1人の左腕投手が含まれていた…
三東洋投手 5年目、明後日で29歳
島根の益田東高で甲子園を沸かせ、その後、駒沢大~ヤマハを経て、
02年ドラフト6巡目で入団した。
2年目の04年、岡田体制1年目にシーズン途中から台頭し、5勝負けなしの活躍を見せた。
しなやかな投球フォームからキレのいい球、さらに打撃もよかった投手だ。
その後は相次ぐケガに泣かされたが、
今春の沖縄キャンプではポスト井川の1人として期待され、
2度とケガをしないように慎重に復活を目指していた…
しかし…
2月22日、沖縄から高知安芸へ移動してからの紅白戦登板中にやってしまった…
『左広背筋肉肉離れ』
結局、リハビリに明け暮れた2007年だった。
もう一度マウンドへ…その想いは、阪神のユニフォームでは叶わなくなった。
その他にも、様々な選手が、当該球団ではピリオドが打たれた。
プロである以上、当たり前なことなのだろうが、近くで接する者としては、
複雑な、実に寂しい季節の到来だ…