徒然なる「西村主審」のジャッジについて
西村主審のジャッジ。
随分、「論議」を呼んでいるようですね。
「PKを与えるべきだった」「与えるべきでなかった」
両説ともに、それなりの「理屈」があるわけで、
どちらが
「正しい」「間違っている」…
永遠に、「正解」は出ない問題ですね。
ただ、あれを「ミスジャッジである」と
明確に指摘し、
その理屈を万人が納得できる形で展開できる人は、
たぶん、この世に居ないでしょうね。
さて、私見でいえば、
「サッカー」というスポーツの発展の為には、
私は、
あのプレーは、
「イエローカード&PK」とジャッジして
「大正解」だったと、思っています。
クロアチアDFは、
100人が見て100人、
明確に認識できる形で、
手を、ブラジルFWに、かけていました。
そのコンタクトが、
「倒れるほど」のレベルだったかどうか?
は、
私は、別問題だと思っています。
ペナルティエリア内で、
「手をかける」行為をした以上、
「PKをとられる」一定のリスク覚悟での
行為だと思いますので、
結果、「とられてしまった」ことは、
ひょっとすると「不運」だったかもしれませんが、
「やむを得ない」ことでもあったと、
思います。
もし、頭の片隅に、
1ミリも、
「あのプレーでPKをとられる」リスクが
よぎっていなかったんだとすれば……
そもそも、DFとして持っているべき
「危機管理」能力に、
問題があると、思います。
まあ、そんなことは、なかったと思いますが……
サッカーというスポーツで、
一番、気分が悪くなるのは、
私、個人的に言わせてもらうならば、
まさに、あの手のプレー。
手で相手をロックしておきながら、
『いや、私、何も触ってませんよ!』とばかりに、
その直後に、両手を広げて「虚偽の無実」をアピールするプレー。
私、あの手の「汚い」プレーが、
本当に、嫌いなんです。
あれでPKが与えられなかったら、
スロー映像でそれをみたサッカー少年たちは、
「ああ、あのDFのプレーは、良いプレーなんだ」
と、
認識するでしょうね。
私は、
サッカーの発展のために、
そういうことは、
適切なことだとは、
思えませんね。
まあよく、
サッカー業界では、
あの手のプレーのことを
「マリーシア」などというカタカナ語を使って、
「悪」としない
風潮…
があるように感じる…のですが……
私は、
「悪しき慣例」だと
思っています。
あのレベルのコンタクトで
もんどりうって倒れたFWのほうも、
「こずるい」プレー…
ではあると思いますが、
そっちは、
ギリギリセーフの「マリーシア」かなと、
個人的には、感じます。
逆に、
手がかかってなかったのなら、
倒れたFWの方が、
「イエロー」だとは思いますけどね。
まあ、
「ずるい」「汚い」プレーの応酬の中で
下されたジャッジ…
なのかもしれませんが、
「足で戦うスポーツ」である以上、
「手で、相手をロックしちゃってる」ことは、
それだけ大きなものを失うリスクがあるんだぞ!!!!
てことを、
開幕戦の主審が、
全世界にしっかりと示したことは、
むしろ、
大絶賛されて然るべきことだと、
個人的には思っております!!
あんなプレーが横行するなら、
(実際には、残念なことに、
世界中のサッカーの試合で
既に「横行」している
現状があるわけですが…)
「サッカーってスポーツは…」と、
眉をひそめる人々が、
ずっと沢山、
存在し続けることになると思います。
サッカーというスポーツが、
「さわやかさ」「スポーツマンシップ」というところを
もし仮にも目指すのなら、、、、
あのジャッジは、
大絶賛されて然るべき
「名ジャッジ」だったと・・・思っています・・・・!!!!
もっとも、
「いや、サッカーは、人生そのものなんだ…」
的な価値観・・・
そっち方向を目指すんであれば、
あれに対し「PKを与えない」…
選択というのも、
悪くはない…のかもしれませんが……
「理不尽」「ずるいことが横行」…
これらは「人生の常」で、
サッカーを通じて、
そういうことも、
子どもたちに教えなければいけない…
という意見も、
あるのかもしれませんが……
でもそうだとするならば、
その後の「シミュレーション」を
「必ずとるべき」だ…
という理屈も、
今度は若干、
違和感…
を感じますが……
やっぱり、
「ちょっとの接触で、大げさに倒れる」ことも
十分「こずるい」行為ですが、
「手を使って相手を妨害」して、
しかも、「そういうことしてないよ」とアピール、
「見られてなきゃ、やったもん勝ち」
という行為は、
もっと「こずるい」行為…
だと、
個人的には、、、思うので。。。。