徒然なる「定数半減」のショック!
衆院議員定数を半減…
実現可能性、実現した場合のマイナス面、
いろんな指摘の声が早速飛ぶが、
いわゆるひとつの「ふわっとした民意」を背景に持った、
大胆で有意義な問題提起であることは、認めざるを得ない。
しかし悲しい…
現役の国会議員は、猛省すべき。
「定数半減」という提起が、
なぜ、多くの国民の琴線に触れるのか?
要するに、
「半分になっても、国会全体のパフォーマンスは落ちない」と、
国民の多くが思っている。
そう思わせているのは、
国会議員自身。
という空気感も感じず、
「半分になって民意が反映できるのか?」と
トンチンカンな発言を繰り出す与党幹部もいる。
「今の国会が、民意を反映できているのか?」
本来、まずそこに思いを馳せるべきなのだが…
さて、一般論としていえば、
私は、今の国会議員の数は、
多過ぎる、とは思っていない。
本来的にいえば、
もっと多くてもいいはず、と思っている。
官僚群と渡り合うには、
もっと多くの数が、本来必要なはず。
ただ、
その理由がなぜなのか?
の分析は一旦おくとして、
要するに、
今の国会議員のレベルは、
やはり低いと思う。
つまり、
今の数を倍増したとしても、
全体としてのパフォーマンスが上がるとは、
到底思えない。
逆に、
半減したとしても、
悲しいかな、
なされる仕事量は、大して変わらないだろう。
そこが、
「半減」と宣言されても、
危機感を国民が何ら感じない、
最大の理由。
むしろ、
喝采を浴びる、その状況。
仕事をしてナンボなのだから、
仕事が実際に出来ていない以上、
仕方が無い。
また、
「仕事をできていない」自覚が、
現役議員、特に古株議員に、乏しい…
さて、
「大阪都」の法案が、通った。
「名称」問題も、
最近、脚光を浴びだした。
これに関しては、
私の意見も、
「名前が変わらないのは、センスがない」に一票。
それに尽きる。
本気で、
「中身が大事。名前はどうでもいい」と思っているのなら、
やはり、センスが無さ過ぎる。
いろいろ考えたんですけど、
やはり、「センスがない」という表現以外に、
思いつきませんね。
法律の壁が…
とかいう、
トホホな意見をいう人も、結構いますが…
いやいや、変えればいいこと。
100くらい関連の法律がある?
変えればいいことです。
大した手間ではありません。
まあ、
名前を変えずに中身だけ変えても、
効果は半分じゃないですか?
と、私は思いますが、
これは、あくまで「センス」からくる私見ですので、
違う「センス」の人からは、
賛同は得られないと思います。
それに
「センス」からくる所感ですので、
理屈で説得も、できないなぁ。。。
ただ私は、
世の中で「名前」の持つ「効果」を、
大いに認める立場ですので…