徒然なる「政権与党」に少しは甘めのこともたまには言おうとしたのですが、結局……
基本的に、
政権与党というのは巨大な権力を与えられているわけだから、
厳しく見られ、そして批判されて当然だと思う。
それは、政権交代前の自民党も、
現在の民主党も同じ。
厳しくされ過ぎるくらいでないと、
そうでなければ、
政権与党なんて、何でもやり放題になってしまう。
ですから、
いつも、政権与党である民主党には、
基本的に、キビシめの意見を書いておりますが、
今回は、ちょこっとだけ、
甘めの意見を、書いてみます。
「マニフェスト違反!!」と、
ひっきりなしに批判されている現在の民主党ですが、
有権者に、それをいう資格は、あるんでしょうか??
もちろん、
前回の参院選前までの民主党に対しては、
私は、言う資格は、あったと思う。
でも、
参院選で「ねじれ」状態を現出したのは、
他ならぬ有権者だ。
ねじれを現出させた以上、
もはや、「マニフェストの忠実な実行」は、
有権者自身が、あきらめたということに、なりはしないか?
残念ながら、
政権与党民主党は、参院選前までに、
確たるものを、示せなかった。
それに対し失望した有権者が、
「ねじれ」状態を与えたわけだが、
その時点で、有権者自身も、
「マニフェストの実現」の夢は、
放棄したと解釈すべきではないだろうか。
では、参院選以降の民主党には、
何が期待されるのか??
「マニフェストの忠実な実行」は、
既に期待されていないと認識すべきだろう。
実際に、そう認識して、
次善の行動に移るべきだった。
まあ、結局、
そういう行動をとれていない政権与党の「想像力」に対する疑問符が
つくんですけどね。
参院選後は、
マニフェストは棚あげしてでも、
安定した、国民の生活をより良くしてくれそうな期待感の持てるような政治を、
目指すべきだった。
その為には、敗北時点で、
「マニフェストは実行できない状態に陥った。
この上は、それを棚上げします、すみません」と、
けじめをつけるべきだった。
結局、参院選後の民主党は、
マニとは関係ないところで、
なんとか信頼回復しようとしてきた。
菅政権の「脱原発」も然り、
野田政権の「消費税」も然り。
ところが、けじめをつけていないがゆえに、
いまだに、野党からも与党内からも、
マニ違反を理由に、突込みが入る。
まあ野党は、
常に与党の攻撃材料を探しているから当然だとしても、
民主党内からいまだに、
マニフェストがどうのこうのという声があがるのは、
トンチンカン極まりないと、個人的には思っています。
参院選敗北時点でもはや国民は、
マニにこだわることすら、あなた方に許してはいない、と悟るべきだ。
参院選敗北の時点で、
潔く方向転換を明確にすべきだったが、
結局それをしていないから、こうなる。
いまさら
「マニフェストは実現不可能でした」と言われても、
民主党の能力不足にしか国民には映らない。
だが実は、実現不可能にした一番の主体は、
他ならぬ国民自身だ。
参院選後に明確にけじめをつけていれば、
マニフェストが実現不可能なのは、
民主党の能力不足だけではない、という印象も、
国民に与えられたかもしれない。
まあ結局、そういう計算も含め出来ていないこと自体が、
能力不足なんでしょうけれど。。。
その辺、橋下市長は、
実に巧みだ。
大阪市議選で大勝して第一党になった時に、
なんと「敗北宣言」をした。
「過半数を取れていない」が理由だ。
中選挙区でそもそも無理めの目標設定なのに。。
要するに、選挙前に約束したことができない可能性を、
先手を打って示唆してるわけですよね。
「敗北宣言」は、謙虚にみえるが、
実は、
「有権者の皆さん。過半数を与えてくれなかったあなた方の責任ですよ」
ということを明確にする効果もある。
この戦法が巧みか狡猾か、
評価は人により分かれるにしても、
少なくとも、先・先を読んだ言動であることは確かだ。
実際、その後の市議会で、
公約から後退した決着で妥協する際、
毎回のように、
「だって、過半数ないんですから」というのが常套の決まり文句だ。
参院でねじれに陥った時に、
政権与党がそういう巧みな発信をしていれば、
少しは事態は変わっていたのではないか。。。
もっとも、
そういう巧みで計算尽くの政権運営が出来ないから、
参院選で敗北してるわけですけどね。
結局、
選挙でみすみす惨敗してしまうような戦略しか立てられないところには、
国民は、命や財産を預ける気にはなれないのです。
政権は、外国ともやりあわなければならないのだから。