徒然なる「再稼動」容認という解釈…
大飯原発再稼動問題。
関西広域連合が出した声明。
意見の異なる首長が集まって、
それでも出した声明としては、それなりに意味のある声明ではないだろうか。
一定の評価をしたい。
それにしても、政府側の受け止めは、ゆがんでいる。
もっとも、
「再稼動ありき」のスタンスだと、
本気で真剣に、そういう受け止め、感想に、なるんだろうか…
ならないですよね…やっぱり…どう考えても。
動かしたくて動かしたくて仕方なければ、
やっぱり、そういう受け止めに、なるんだろうか…
「限定的」とか「暫定」という、
実は重要なキーワードに目をつぶって、
とにかく、
「容認してくれた」「理解を得られつつある」と
都合の良い解釈にひた走っている感は、ある。
あの受け止めは、
本気なんだろうか?
本気なんだとすれば、
居並ぶ大臣の皆さんは、
総理をはじめ、基礎的国語力が不足しているとしか、思えない。
まあでも、本気では、ないんでしょう。
流石に。
捻じ曲げ解釈で次のステップへと移る、
「常套手段」的な感じですね。
まあ、
政府だけでなく、人間社会では、よくあることですが…
会社の会議やなんかでも、
散々言いたいことを言えて、
上層部に真意が伝わったと思ったら、
なんか最後、きれいな文言でまとめられて、
後日、
「いろいろ意見は噴出したが、最後はおおむね理解を得られた」
的な扱いにされるという…
後日、
「やられた!」と地団駄踏んでも、
後のまつり…
体のいい「ガス抜き」の現場に居合わせただけだった、と
気づかされるという…
まあでも、
それでも、ああいう声明を、
バシッと出したことには、意味あるんじゃないでしょうか。
政府の「再稼動」に向けた「プロセス」の段階に、
うまく「声明」の位置取りをキープした点も、
大きいと思います。
「動かしたい側」は、
「動かせばこっちのもん」だと思っていますが、
「暫定」「限定的」という、
埋め込まれた文言は、
大きいと思いますよ。
まあ、その文言の意味を
大きくできるかどうかも、
ひとえに、今後の連合側の、
継続的なたゆまぬフォローに、かかってくるとは思いますが。
それでも、
何も出さない、話し合って終わり、
だった従来の広域行政集合体…
的な存在に比べれば、
一定、政治力を行使できる主体に、なりつつある。
まあこれで、
全くとんちんかんな声明を出しているようでは、
また一つやっかいな圧力団体ができちゃった、
となるわけですが、
今回の広域連合の論理構成は、
極めて明快ではないでしょうか。
政府は、助けられてると思います、
本来なら。むしろ。
「暫定的」「限定」ということに、のっかったほうがいいと思うんですが、
そういう判断が出来なくなるんですね。
あまりにも多方面から、
ああでもないこうでもないと、雁字搦めにあうと…
とにかく難解な、
霞が関文学のオンパレードで、
ごまかしきろう、しのぎきろうと。
それでこれまで長年やってきた、と。
もうそういうごまかしがきかない、
それをやればやるほど信頼を失う時代だと、
いうことに、気がつかない。
つくわけがない。
なぜなら、
それで乗り切ってきた官僚の皆さんが、
各省庁の一番上にいて、
そういうもんだと、硬直化しているから。
素直に、
国民に分かりやすいメッセージを、率直に出して
賛同・支持を得ていこうとする時代だと、
思うんですけどね…
少なくとも、政治家は、そうあるべき。