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野村明大(ytvアナウンサー)『野村明大の徒然なる道』

徒然なる「リストねつ造」問題を巡る雑感…

ねつ造リスト問題。

橋下さんの「スタンス」は、よく分かった。
この間(かん)の、一連のツイートや会見によって。

そもそも橋下さんは、市民に対しては、謝っている。
組合に対しても謝るべきだと、通常の市民感覚では感じる事案だが、
今回は、橋下さんは、より大きな「守りたい」ものがあるとのことだ。

これまで「ふわっとした民意」を最も大切にしてきた橋下代表が、
市民感覚を脇に置いてでも「守りたい」のだという。

そこまでいけば、「信念」でしょう。

信念は、市民感覚よりも重いということだ。
それも含めて市民に問えばよい。
安っぽい「信念」なら、選挙で洗礼を浴びるまで。

「市民感覚」は、とても大切だ。
報道機関にとっても、政治家にとっても。ごくフツウの「民間企業」にとっても。

ただ、「市民感覚」よりも大事な、譲れないものは、誰にとっても、ある。
それをしっかりと持つことは、実は、とても大事なことだろう。
それは「信念」ですからね。


ただ、安っぽい「信念」を、後生大事にするのは、とんでもなく滑稽なことだ。
一方、「立派な信念」は、後世に語り継がれる立派な姿勢だ。

どんな「信念」=「こだわり」を持つかは、
まさに、その人自身の価値を、決定的に決定付ける。

さて今回、橋下さんがこだわった「信念」は、どちらだろうか?

そこも含めて有権者に委ねるというのが、橋下さんのスタンスだろう。

それならそれで、いいのでは?

ただ、「立派」か「安っぽい」かは、
メディアは各々、有権者も各々に、称えたり批判したりはする。

そこにさらされる覚悟をもって、市民感覚よりもそれを大切にするというのは、
それは一つの姿勢。

で、
橋下さんが、市民感覚を脇に置いてまで守ろうとしたものって、何なのか??
てことですね。

彼のツイートや会見(発言録)をみれば、分かります。

一言でいうと、
「議会の場での追及を萎縮させない」こと、ですよね。

まあ、一言で言っても、ピンとはきません。


橋下さんは、ツイッターで、
ずーーっと、このことをつぶやき続けていましたが、

私は、それを当初、読んだときは、「屁理屈」だと感じました。

その後、会見で、
彼がこの主張を唱えたときには、
「信念」だと感じました。

さて、どちらが真実なのでしょうか?
判断するのは、市民国民、一人一人です。

橋下さんの「こだわり」が、
屁理屈なのか、信念なのかは、この際、棚に上げましょう。

私が問題視したいのは、
杉村議員&維新市議団の会見からは、
こういったことを、何も感じ取れなかったことです。

何か大きなもののために「謝らない」のなら、それがこちらに分かるように、説明すべきです。

杉村議員&維新市議団の会見からは、
そういうものは、何も感じ取れなかった。

だから、
「意地になって、謝らない」ようにしか、感じ取れなかったし、伝わらなかったのです。

橋下さんの会見からは、
その姿勢が市民から支持されるかどうかはさておき、

彼がどういう理屈で「謝らない」のかは、よく分かった。

杉村議員&維新市議団は、
「謝らない」理由について、
それくらい理論武装して臨まねば、単なる「市民感覚とずれた意固地」と映る。

そのことにもっと自覚的であるべきだし、
「発信能力」をもっと磨かないと、しんどい。

代表の発信能力と差があればあるほど、「チルドレン」扱いから抜けられない…


今回のリストねつ造問題を巡る、
杉村議員、維新市議団、橋下代表の会見から、
私が雑感として感じたのは、まあ、こういったことです。 

市民感覚。大変重く難しいもの。 
これに反旗を翻すときには、相当の覚悟と理論武装が、必要だということですね。

それをもってなおやるなら、それは一つの「姿勢」

投稿者: 野村明大 日時: 2012年04月08日(日) |

アナウンサー