徒然なる「金融マンT」からの示唆
私の友人の金融マンTから
以下のような書簡(メール)が、届きました。
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なかなか、示唆に富むメールですので、
以下に、引用します。
(なお、途中省略してある部分や、固有名詞を分からなくしてある部分があります)
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さて、先日、のむさんに少しだけでも読んでみてはと
おすすめした本をご紹介します。
○○○○××××(本と著者名)
これまで「心」の研究はどのような変遷を辿ってきたのか、
なぜ「人間の心を持つロボット」や人工知能は作れないのか
生物が進化する中でいつ「心」を持つ生き物が現れたのか
意識と無意識の相互関係
といった話題が展開されており、
特にのむさんにおすすめしたいのは、
先日少しお話ししましたが、
周囲の誘導によって、人は勝手にストーリーを作り始めて
記憶を変えてしまう → 冤罪の危険性に注意せよ
という部分です。
本の中で紹介されている、(倫理的に問題のある)社会実験として、
連れ去られた経験のない幼児に対して、以前連れ去られて怖かった
でしょうと尋ねると、
最初はそんな経験はしていないと答えるのが、
1週間後に同じ質問をすると、「あの時点は怖かった」と言うようになり、
さらに時間をかけていくと、「あの時はどこどこへ連れて行かれたが
だれだれがこうこうして助けてくれた」などとありもしないストーリーを
話し始めるというのです。
恐ろしいことだと思います。
本の中でも出てくるのですが、
「心理学」という学問は、人間の意識=主体性に依存するものを研究する以上、
物理学のような自然科学の体系の中にスパっとはまるものではない。
ところが現実には、心理学が自然科学であるかのように装う心理学者たちが
現れて主流になってしまい、科学哲学者などから手厳しく批判され、
もう一方の極である臨床の人たちとは交わらず・・・
という訳で、「心理学」というのは、方法論すら確立されておらず、
しっかりした学問の体をなしていない研究途上のものだということを
意識しておく必要があると思います。
我々も、何となく、心理学者は「心」のことを何でも知っていると
思い込んでいるような気がしますが、その何となくの常識が危うい、
ということでしょうか。
今は、この著者が編者となっている「ーーーーーーー(別の本のタイトル)」という
本を読んでいます。
まだ前半戦で、科学哲学の話ばかりで苦しんでますが、
物の考え方のトレーニングだと思って少しずつ読んでいます。
心の話とか哲学の話に興味を持ったのは、
それが人間生活の根底にあり、経済活動の前提であり、
それをほとんど取り込めていないマクロ経済学は
科学と呼ぶには相当不完全なのではないか、
「行動経済学」などという分野も出てきているが、
もっと人間科学の専門家が参入しなければ発展しないのでは、
などという問題意識からなのですが、
長くなったのでこの辺で終わりにします。