徒然なる「自民」が「原発を維持」
良いのではないか。
政治家である以上、
「方針」を、打ち出すことが、まず大事だ。
どうするのか、自らはあいまいにしたまま、
「個人的見解」とかワケのわからない釈明を織り交ぜつつも、
少なくとも「意思」を明確にした菅首相を、
ただただ批判していた今までに比べると、
格段の「進歩」だ。
さあ、
「方針」を打ち出せば、
「課題」も明確になる。
そこで、ようやく、議論も深まる。
自民方針の
最大の問題点は、
「じゃあ、原発の安全性については、どう考えているのですか?」
というところだろう。
「太陽光などの再生可能エネルギーで、
原発の発言量をカバーすることは、難しい」
ことくらいは、
言われなくても、わかっている。
難しいけれども、チャレンジするのか??
チャレンジしてもできないほど難しいから、あきらめるのか?
あきらめるとしたら、
「原発」のリスク・怖さは認めたうえで、「維持」するのか?
あるいは、「安全対策」を上積みすれば、
かつての「神話」時代の安全性を、復活させられるのか??
そのあたりについて、
より「明確」に、説明する責任が、問われてくる。
そういった「説明責任」が生じるからこそ、
「方針を打ち出す」ことは、
何にもまして重要である、ということなんだろうと思う。
菅さんも、
「方針」を打ち出したがゆえに、
そういった「細かな説明責任」を果たしきれずに、
批判を浴びている。
「方針」と「責任」とは、
こういうものであろう。
将来的に、
「減らしていかざるを得ない」ということは、
大方の共有するところである「現実」であって、
ならば、
それまでの間、
「政策的に、誘導していく」のか、
「維持」して、事故が起こらないことを祈りながら、ソフトランディングしていくのか、
実は、
「対立」しているのは、
そこの部分・・・・なんだろうと思っている。
議論を深めればよい。
深めたうえで、最後は、選挙の争点のひとつとして、決着をつければよい。
それだけのことである。