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野村明大(ytvアナウンサー)『野村明大の徒然なる道』

徒然なる「槇尾川ダム&橋下知事」会見のやりとり(3)

好評の

「会見振り返り」シリーズ・パートⅢです!


以下、要旨です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

野村)

ここのところ(知事の口から、よく)出てきている話で、

(ダム建設か中止かを説明するための)
ロジックとか立証責任(という言葉)とか
聞かれるということで、


それらの言葉を考えるときに、一番大事なのは、


「原則(は何なのか?)」というのが、一番大事になってくると思う。

「原則ダムは造りたくない」という1年前の知事のコメントが、
何度も報道で使われており、我々も使っているが、

確認ですけれども、

(知事の)原則は「脱ダム」なのか、
それとも、ある程度進んでいるんだから、「原則はダム」なのか?

それとも、
「そんなのは取っ払って『白紙』からの検討」なのか?

そこを今一度、確認したい。

橋下知事)
ダムを造る、造らないのところは、

「原則、造りたくない」というのは、思想信条のところで言った。


けれども、しかし、それで決定してはいけないですからね。


きちんと専門的な知識を積み上げながら、

「造らないんでいいんであれば、造らない方をとる」ということであって、


やっぱりそこは、

「造らなくちゃいけないなら、造らなくちゃいけない。」

まあ、今回の(委員会での)議論を見て、
僕なりに整理をした最大のポイントは、

「超過洪水に対してきちんと対応していきましょう」と。

もちろん、もともとの目標、

「100年に一度80ミリ対応」っていうものを、一律にしない、
50、65、80と河川ごとに目標を変えていく、

それが、大きなポイントの第1点。

次のポイントの2点目は、

「施設を作ったからといって、それで終わりにしない。」

超過洪水に対しては、

きちんと住民にリスクを開示して、ハード以外の対策もしっかり考える。
この2点に、尽きるわけです。


今回、
なんでこんなに議論が錯綜してしまったかと言うと、

「超過洪水を考えましょう」と言ったときに、
「そもそも過剰」なハードの施設(ダム)というものが、
着工段階になっていたわけです。


そうすると、
それが「超過洪水対策」ということで、ターゲットに入ってしまったわけです。

だから、
本来、元々考えていた考え方っていうのは、

「ある程度の目標に添った施設を作り、
 超過洪水に関しては、ソフト対策、

 住民へのリスク開示だったり、住民の皆さんの逃避ルートの作成であったり、
 ハザードマップの作成であったり、またいろいろな局所的な改修だったり、

 そういうものを組み合わせながら、
 超過洪水(対策)をやる」、、、


という話だったのが、


 

ダムというものが、存在していたがゆえに、

超過洪水への対応策の一つとして、

過剰分というか、当初の目標よりも過剰なスペックの「ダム」の部分というものが、
超過洪水の対策の中に、入ってきたということ。

そこですね、議論が錯綜したのは。

 


だからこれが、

白紙の段階で議論するのと、
ダムというアイテムが既にあるところで議論するのとでは、


今回、いろいろな議論を、
かれこれ半年以上も、やってもらってきましたけれども、


錯綜したのは、そこじゃないでしょうかね。

そこの考え方の違いじゃないかと思う。

超過洪水対策というところに、

「過剰」というか、
元々想定していなかった「ダム」というものが、
ターゲットに、入れるのか入れないのかということですかね。


野村)
2つなり3つ(の選択肢)から1つを選ぶためには、

何らかの立証責任によって残りを排除するという手続きが必要になってくるわけで、


そのときに、「原則(ダムなのか?脱ダムなのか?)どっちなのか??」ということが、

「どちらを立証する必要があるのか」に関わってくると思うんですが。

「原則ダムは造らない」というのは、
思想信条として原則だけれども、

槇尾川については、

原則「槇尾川ダムを造らない」ではない、、、、という理解でいいんですか?

橋下知事)
どっちに立証責任があるかという配分をするのは、

原理原則、自分の主義主張で、立証責任が決まるわけではない。


到達させるその命題、ゴールをどのように設定するかによって、
立証責任の配分が決まるんで、


だから、繰り返し言いましたけれど、


「白紙の状態」で、
河川改修案かダム案か、どっちか?ということになると

その「優位性」というものが、ひとつ立証の対象の要件になって、


立証責任は、「その優位性を立証できるかどうか」ということが
問題になりますけれども、

今回の命題というものが、

「今あるダムというものを中止にして、新たなものに変更させる」ということが
命題になるとしたら、


「優位性」というものは、立証の対象事実ではなくなる。


だから、
「原則ダムをやるのかやらないのか」というのは、

最初、(検証を)スタートする…

槇尾川ダムは、ああいうふうに進んでいましたけれど、


再検証を指示するときの、

思想信条で「原則ダムは造りたくない」ので、
再検証の指示を出しましたけれど、


命題としては、

「今着工しているダムをやめて、違う方向にする」か、

「ダムを止めるかどうか」という話になってくるので、


優位性だけの話にはなってこないと思う。

ここは、
しっかりロジックというか、思考過程を整理しないと、
誤ってしまうという思いがある。


そこはこれから、(委員会から出された)意見書を見ながら整理していきますけれどもね。

ただ、何を結論とするのかというところで、立証する対象事実が変わってきますので。

野村)
その、

命題とか立証責任とか、大変難しい議論だと思うが。


いま、知事がおっしゃったように、

今(計画進行中の)ダムを放逐するのかどうかということを命題にするのであれば、

そもそも原則は、
槇尾川ダムに関しては、「造る」というのを原則にするということと
同じだと思うんですが、それは、違うんですか?


橋下知事) 
それはぜんぜん違うと思う。

もし「造る」ということを原則にするんだったら、
再検証なんて、しない。


そのまま進めていればいいだけです。あの段階で。
造るだけですよ。


「造る」という発想だったら、たとえば僕以外に、
大阪府庁で再検証を考えたのは、河川室をはじめ、僕だけ。


「ダムを原則造りたくない」という思いがないメンバーで集まれば、
有識者会議だってそういうメンバーで集まれば、

なにも、再検証なんてする必要ないじゃないの?ということで終わってしまうんで、

やっぱりそこは
「原則造るべきではない」、「もう一回検証したい」と。


やっぱりそれは、再検証になった動機付けというものは、
「原則造りたくない」ということが効いてきたわけですから、


そこは、全然違うと思う。


野村)
わかりました。


それで、最後にお聞きしたいのは、


命題の立て方を、


「今あるダムを放逐するのかしないのか」という命題にするのか、

あるいは、


「2つある案のうち、どちらにするのか」という(命題にするのか)

命題の立て方を含めて、今整理している段階だということですね?


橋下知事)
そうです。

命題を、


最後、結句をどうするのかはものすごい重要で、

そこは、コインの裏表じゃないですけれど、

言い方を変えるだけで、立証すべき対象事実とかが全部変わってくる。

「2つの白紙の中で、どっちが優位ですか」ということになると、

優位性が「対象」になりますけれど、

「ダムを放逐するかどうか」ということになれば、

「ダムを放逐するだけの理由があるかどうか」というのが、対象になってくる。


そこは、「何を結句にするか」ということは、
非常に重要だと、思いますけれどもね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いかがでしょうか??


理屈としては、

正直、

「わかったような、、、わからないような、、、、」

というのが、

率直にいって、

知事の「理屈」に対する「感想」です。。。

というより、


私は、


「原則、ダムは、造りたくない」という思想信条があって、

「再検証を、決断した」


というのであれば、


命題は、

「ダムに代わる、合理的な『代替案』が、あるかないか?」

その一点に尽きると、

思います。。。

基本的には。。。。

「原則、ダムは造らない」のであれば、


「ダムに代わる、合理的な案」があれば、その瞬間、


ダムは、「造らない」 (なぜなら「原則」だから…) のであり、

それ以上でも以下でも、ない、、、、


はず、、、だと、、、、思います。。。。。


それ以外の「理屈」は、、、、ないと思います。。。。

それでいくと、

「ダムを、放逐すべきか否か?」は、

本来、命題には、なり得ない、、、、


というか、

「ダムに代わる合理的な代替案」が「あった」瞬間に、

「ダムを放逐する」のは、当たり前であり、


「ダム案か、脱ダム案か、どちらが優位か?検討する」

という命題は、

まさしく、


「脱ダム案が、

 ダムに代わる、合理的な代替案であるかどうか? を、検討する」


まさに、

そのことに、他ならない、、、、わけで、、、、


そもそもが、


橋下知事が、

ごにょごにょと、


理屈をこね回す必要のある、、、、ことだとは、、、、、

私は、

思いません、、、、

基本的には。。。。。


皆さんは、

どう、お思いですか??


唯一、

橋下知事が、


ロジックを、ああでもないこうでもないと、頭を悩ませる必要があるとすれば、、、


「ダムは、原則、造らない」が、「槇尾川ダムについては、その原則に、当てはまらない」

とする場合か、

もしくは、

「ダムは、原則、造らない」と、

一年前には、号令の意味で言ったが、

その言葉は、そのまま受け取ってもらっては、困る。

場合か、、、、


その、どちらかだと、、、思います。。。。。

まあでも、

会見の場で、

この種のやりとりを、延々とやっても、


「非生産的」このうえないので。。。。

知事の言いたいこと、知事の気持ちも、

十分に、よくわかるつもり、、、なので、、、、

これ以上、

その部分について、

ねちねちと、突っ込むことには、

意義を、見出せませんでしたし、

ですから、

そうもしませんでしたが。。。

やはり、

一年前の、あの時点で、

いきなり、

「原則、ダムは、造りたくない」と再検証をはじめたこと、、、、、


それとセットで、

「新しい治水」を、目指すのだと、宣言したこと、、、、、


それらは、

とてつもなく大きな「転換」、、、であることは間違いありませんし、

現実に、それが結実すれば、

日本中にも大きな影響を波及させかねない

画期的な「転換」に、なる可能性もあります。。

また、

それくらいの大きな「転換」に「号令」をかけようと思えば、

「原則、ダムは造りたくない」


くらいの一言を言わないと、

組織も、世論も、

動かない。


恐らくそう言いたい

知事の気持ちも、わからないではないので、


その「一言」をもって、

「あなたは、あの時、こう言ったじゃないですか!?」

の一点で攻めることだけは、

私は、今後も含め、

したいとも、すべきだとも、思っていませんので。。。。

ただ、


大きな志をもって

踏み出そうとしたけれども、


困難と障壁が大き過ぎて

「断念」した場合には、


それはそれで、

そこの部分は、素直に、認めるべきであると。。。。


そうでないと、


今後、

本当に「新しい治水」を体現しようとして出現するかもしれない

真の転換者が、

「おおかみ少年」のような目で見られ、

信用してもらえなくなる。。。。


そんな事態につながることこそ、

本当に、由々しきことだと

思いますので。。。

「新しい治水」は、新しい治水。


「従来型の治水」は、従来型の治水。

1兆の計画を、

数千億円の治水に減らしたことは、


それはそれで、

とてつもなく凄い、、、ことではありますが、、、、


それだけでは、

「スケールの大きな、『シーリング』」でしか、ありません。

それ以上でも、それ以下でも、ありません。

「スケールの大きなシーリングをかけた、従来型の治水」です。


そこを、

どう判断するのか?

どう考えるのか??

結論の行方は、

そのあたりに、


焦点が、絞られつつある、、、、、


そんなところでしょうか。。。。

投稿者: 野村明大 日時: 2010年11月23日(火) | コメント (1)

コメント

浮ついた(日和見な)世論なんてあてにはできませんし

橋下さんにしてみれば・・・
身内を切るには、もう少し時間が必要なのですかね。

まぁ、同情の余地は十分にありますな。

投稿者: (・e・) 日時:2010年11月23日(火) at 18:10

アナウンサー