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本野大輔(ytvアナウンサー)『大輔の いつかはきっとホームラン』

被災地で感じたこと

東日本大震災で亡くなられた方、遺族の皆様に心からお悔やみ申し上げます。
被災された皆様にお見舞い申し上げます。


地震から2週間がたちます。
震災がおきてから、初めての更新となります。


私は、地震発生のとき東京の日本テレビにいました。
日本テレビ社屋は大きく揺れて、机の下に身を隠し2分ほど机の外にでられませんでした。
何が起こっているのか、あまりの揺れの大きさに自分を見失いそうでした。


直後に『東北で大地震』と誰かが叫びました。
テレビで地震の様子がわかり、直後に津波の映像が映し出されました。
その様子を釘いるようにスタッフ全員で見つめました。
恐怖と驚きと、そして何もすることが出来ない自分に苛立ちが入り混じり
現実ではないような感覚に陥りました。


東京にいた私は翌日から日本テレビ系列でつくるNNN系列の応援スタッフとして、
ヘリコプターで被災地から中継を行いました。


現地でなにが起きているのかを見つけ出し、テレビで伝える役目です。
被災地は、想像していた以上に悲惨な状態でした。
テレビではお伝えできない現場にも遭遇しました。


中継をしている時に、救助隊が被災者の方を救出している現場も遭遇しました。
このヘリで被災者の方を救出できないものか。何度も思いました。


しかしテレビ局のヘリコプターは放送用に改造されている上に
人を救出できるような構造になっていません。
被災地に物資を届けることも、現場に降りることもできません。


ヘリコプタに乗っている自分たちに何ができるのか。
悩んでいたときに、一緒に乗っていたスタッフが


『いまこの状況を知ってもらうことで間接的だが被災されたの力になれる。
この状況を伝えなかったら被災地に救援物資もボランティアもこない。
まず、震災が発生した今、自分たちにしかできない報道をやるんだ。』


この言葉を胸に、一週間ヘリコプターから中継を行いました。


その後、後任にリポーターを引き継ぎ大阪に戻ってきました。
震災前に当たり前だった生活に戻りました。


水が出ます。
食料があります。
暖かい家があります。
携帯もつながります。
ガソリンもあります。
いまの生活が恵まれたものだと、心の底から感じました。


被災地は少しずつ復興に向けた動きが始まっています。
被災地以外も「自分にできることは何か」考え、動いた結果が出てきています。


救援物資、住む場所の提供、ボランティア、義援金・・・
世界中にも広がっています。


亡くなった方の命の重さを忘れず、一刻も早い復旧を願います。
早く被災地に笑顔が戻ることを信じて。

投稿者: 本野大輔 日時: 2011年03月25日(金) | コメント (7)

アナウンサー