「星野仙一さん」

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1月にお亡くなりになった闘将、星野仙一さんの追悼試合、阪神-中日戦が今日甲子園で行われました。  

  

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阪神は金本監督、コーチ、選手全員が、星野さんが監督時代の背番号"77"を付けて、  

中日は背に星野さんが投手時代の"20"、胸に監督時代の"77"を付けて試合に臨みました。  

  

今日はアルプススタンドも開放され、最上段までいっぱいのファンで溢れました。  

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星野監督は長く低迷していた阪神を再建、就任から2年で18年ぶりのリーグ優勝に導き、常勝チームへ復活させました。  

  

その後、東日本大震災が起こった年に楽天の監督に就任、万年Bクラスだったチームを3年で日本一に成長させ、被災者の方々に大きな希望をもたらしました。  

  

負けたら全身で悔しがり、勝ったら手放しで喜ぶ、これ程勝ちに対する執念、闘争心むき出しの監督は他にいらっしゃらないでしょう。  

  

星野監督の熱い想いは金本監督やコーチ陣、選手達にも必ず受け継がれているはずです。  

  

そして、私が星野監督の話をさせて頂くのも大変おこがましいのですが、同じ明治大学出身ということだけで、周囲の方に私のことを

「こいつは明治の後輩だからよろしく頼むな!!」といつも気遣って下さいました。後輩と言ってもらえるだけで光栄でした。  

  

私が一番覚えているのは、2003年の日本シリーズ第5戦の勝利監督インタビュー。

当時福岡ダイエーと2勝2敗で迎えた甲子園での第5戦で勝利して日本一に王手を掛け、

割れんばかりの大歓声の甲子園のお立ち台に星野さんと二人だけで立ちました。  

  

普通なら震えてしまいそうな状況だったのですが、星野さんが隣にいらっしゃると思うだけで大船に乗ったような気持ちになり、

落ち着いてインタビュー出来たのです。周囲を優しく包み込むようなオーラを持っていらっしゃいました。  

  

プライベートでの一番の思い出は、私の明大ゴルフ部同期の深掘圭一郎プロとアナウンサーの進藤晶子さんの披露宴です。  

  

ちょうどその時、第一回WBCの決勝戦、日本VSキューバが行われており、急遽、披露宴会場に大型スクリーンを設置し、

主賓としていらっしゃっていた星野さんに解説をやって頂き、私が実況を付けながら新郎新婦、列席者の皆さんと試合観戦しました。  

  

日本は見事勝利、WBC初代王者に輝き、そこにいた皆さんと一緒に2重の喜びを分かち合うことが出来ました。

TV中継では中々聞けない、素のままの、星野さんの愛溢れる野球観が聞けた貴重な体験でした。

本当に心温かく、器の大きい方でした

 

これからもずっと野球界を見守って下さい。