◆ことばの話2960「間違うと間違える」 「道を『間違えば』か、道を『間違えれば』か?どっちですか?」 2007/8/17
(追記)早速この短い文章に対して、NHK放送文化研究所の塩田雄大さんがアドバイスを送ってくれました。いつもありがとうございます。以前(2001年12月1日)に、NHK放送文化研究所のサイト「ことばQ&A」で「間違う?間違える?」というタイトルで取り上げたというのです。 http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/qa/kotoba_qa_01120101.html それによると、「間違う」と「間違える 」には、非常に微妙な違いがあり、「間違う」は「正しい(あるべき)状態から外れていること」、「間違える」は「AとBとを取り違えること」がそれぞれ意味の中心になっているとして、 『「ブーツの左右を間違えて履いてしまった」と言った場合、「右と左とを取り違えてしまった」という意味になります。ただし、右用は右足に、左用は左足に履くのが正しい履き方だ」というニュアンスがあれば、「間違って履いてしまった」と言うことも可能です。』と解説しています。これはちょっと難しい解釈だな。そして、 『「間違える」は、ある2つのものについて「取り違える」ことを表します。何かの試験を受けたときに、「あるべき正解から外れた」という意味では「答えを間違った」ですし、「正解はAであるのにBと書いてしまった」という意味では「答えを間違えた」ということになります。』 ともあります。こちらの方がややわかりやすい感じ。そして「名詞形」にすると、 「間違う」→「間違い」 「間違える」→「間違え」 ですが「間違い」の方がよく使われるとも書いてあります。その通りですね。 2007/8/28
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◆ことばの話2959「痛みを伴う疾患」 乗換えで降りた京阪電車の駅で、ふと目に入った広告看板に、こんな言葉が。 「各種の痛みを伴う疾患を取り扱います」 各種の痛みを伴う疾患? この「痛みを伴う」というところに目が留まったのです。病院の看板なのに「痛みを伴う」 というのが「え?」と思ったところですね。病院って「痛み」を伴わないようにしてくれるところでしょ?しかしまあ、よく看板を読むと、 「疼痛外来、整形外科、麻酔科」 と書いてあったので、実際は、 「痛みを取り除いてくれる病院」 だったのですが、その対象となる病状として「痛みを伴う」と書かれていたのが、目新しい感じがしたのです。そもそも、 「疼痛外来」 というのも新しい分野なのではありませんか?Google検索では(8月16日)
「ペインクリニック」 とも言うようですね。これは耳にしたことがあるぞ。「ペインクリニック」とは、 「痛みの緩和を目的とする外来で、他の診療科の外来が対象となる病気毎に分かれているのに対し、痛みという症状を対象としているのが特徴。いわゆる痛み止めの薬(消炎鎮痛剤)で緩和されない痛みの軽減が目的。痛みはいろいろな病気に伴う症状なので、各診療科とも連携を取りながら、痛みの緩和に取り組む」 というもののようです。なるほど。検索してみると、 「ペインクリニック」=41万件!! でした。おお、スゴイ!「日本ペインクリニック学会」というのもあるようですね。そのサイトで増田豊会長は、 「ペインクリニシャンが行う痛みの治療手段としては薬物療法、神経ブロック療法、手術などの外科的療法のほかに、ハリ治療に代表される東洋医学的療法も行われています。治療に用いられる各種の薬物は、より安全で副作用の少ない製品が登場し、神経ブロック手技に関しても神経根ブロック、椎間板加圧注射療法のほかに、椎体形成や椎体除圧など新しい治療手段も登場しています。」 と「会長挨拶」で記されています。 ところで、「痛みを伴う疾患」の治療には、やはり「痛みを伴う」のでしょうかね?(ジョークです)なんだか、小泉・前総理のスローガン、 「痛みを伴う改革」 みたいですね。 それにしても「痛み」というのは本人しかわからないですから、「痛い」というのが嘘か本当か、他人にはわからないですよね。そういう意味では病院にとって「リスキー」な患者さんかもしれません。だからでしょうか、保険は利かないみたいです、この「疼痛外来」は。 2007/8/16
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◆ことばの話2958「モンスター・ペアレンツ」 7月21日の読売新聞を読んでいたら、 「モンスター・ペアレンツ」 という言葉が出てきました。最近問題になっている、学校に理不尽な難題を吹きかけてくる両親・保護者のことを言うそうです。たとえば、 「うちの子は家で掃除をさせていないから、学校でも掃除をさせないで」 「この子は給食はあまり食べないから、給食費は払わない」 「○○ちゃんと仲が悪いから、○○ちゃんを転校させてくれ」 といったふうな無理難題のクレームをつける親のことですね。 ふーん、そんな呼び方があるのかと思っていたら、その日出席した教育に関するシンポジウムで、教育評論家で法政大学教授、早稲田大学客員教授の尾木直樹さんが、 「モンスター・ペアレンツは、関西では4、5年前からあった。」 と発言していました。また、後日(8月7日)、京都市がモンスターペアレント対策の会議を始めたというニュースのナレーションを読みました。(『ニューススクランブル』で)その際に、「モンスターペアレント」と単数なのか、それとも「モンスターペアレンツ」と複数形なのか?また複数は「両親」なのか? それとも「単数のペアレント」がたくさんいるという意味での複数なのか?が問題になりました。ちょうどそのシンポジウムの様子がその日(8月7日)の読売新聞にまとめて載っていたので、記事を見てみると、そこには、 「モンスターペアレント」 と単数で記されていましたので、単数で読みました。 Google検索では(8月14日) 「モンスター・ペアレント」= 1万5100件 「モンスターペアレント」= 19万4000件 「モンスター・ペアレンツ」= 1540件 「モンスターペアレンツ」= 2万9400件 でした。やはり単数形の「モンスターペアレント」が多いですね。「・」(=中黒)はないほうが多いなあ。 当のシンポジウム(第1部の司会で行って、第2部は聴衆として聞いていたのですが、その第2部の)で「ふむふむ」と思ってメモを取った、各パネリストの発言を記しておきましょう。 <『バッテリー』などの作品で少年を描く作家・あさのあつこさん> 「1997年神戸のサカキバラ事件から、少年は『心に闇』を持っているとマスコミを中心に広がってしまった。そうではないということをあらわすために『バッテリー』で原田巧という少年を書いた。13歳・心の闇。」 「子ども・中供(ちゅうども)に、人を求める気持ち・認めてほしいという気持ちが強い。世の中のひずみが一番弱いところ、子供に出てる。」 「こどもの問題は、おとなの問題。本に救われた。」 <教育評論家で法政大学教授・尾木直樹さん> 「かつての80年代の不良は『オルラオルラ!』と『巻き舌』であってわかりやすかったたが、今の問題児はそうではなく、おとなしい。父母が高学歴で優秀な子が危ない。」 「2002〜03年から急速に変わってきた。子供の遊びの関係がかわったのはメールの問題!女子中学生の今のいじめの99%がメールが問題。子どもの危機の第1のピークは1985年。第2のピークは94年。2006年は第3のピーク。」 「北海道の教育委員会が郵便で、去年4月から9か月でいじめを受けた人は、5万8000人!中学生の4人に一人がうつ病傾向。」 「ありのままの今を輝け。自分を好きになれ。日本の学生児童の自殺は886人も!世界の15才に『孤独か?』というアンケートをとったところ、『イエス』は、日本は29、8%、アイスランドが2位で10%、最下位はオランダで2、9%だった。日本はダントツで孤独」 <能楽観世流シテ方で、能絵本の制作など若い世代への普及に取り組む・片山 清司さん> 「絵本・副教材を広げようとしているが、能は本来本音を隠すもの。わかりやすくしすぎた感がある。囃子の『あしらい』というのは掛け声。」 「こちらがさぼれば、子供も100%さぼる。こちらが一生懸命やれば、子供は120%応えてくれる。教える・教えられるはフラット(=同じ立場)。教えていても、さらにその上の教える人がいる。能の『型』は体の向きの具合が違うと痛い。痛みの度合いで『型』を覚える。」 「自分の目標に向かって体を動かし励むことを奨励したら。しらけたらそれまで。」 <漫画家・大阪府立大型児童館(ビッグバン)館長・松本零士> 「宇宙に関する興味は『火星人はいるか?』というのが最初の疑問。雲野十三(うんのじゅうざ)の小説をよく読んだ。父がパイロットで、『夜空を飛んでると星が降ってくるようだ』と言ったのを覚えている。HGウエルズ『生命の科学』が19巻で300円ポッキリだった。一冊ではなく。」 「あしたのわたしは今日より強い!だから泣いてもいい。でも信念は貫け!ことをなす前に飯をくえ。ワニが歯を磨くか?ライオンは風呂に入らなくても百獣の王である。異常潔癖症はだめ。」 「子は親の背中を見て育つ。母は女学校の教師だった。『人は人、我は我なり、されど仲良し』と茶碗に書いてあった言葉(棟方志功だったか、武者小路実篤だったか)。ナイフを取り上げる運動がダメ。子供の頃ポケットにナイフをもっていた。限界を知ることが大切。往復ビンタ・100発の世代。ハゲの水田先生(=ニックネーム「すいでんがっぱ」)が、字が下手な私に『字と思うな、絵と思え!』と言って書道部に入れられた。それがよかった。小さい頃から信念は変わらない。」 それぞれ個性的な方々なので発言内容もユニークで、おもしろいパネルディスカッションでした。 講演会後・・・近くの喫茶店に入ってコーヒーを飲んでいたら、隣の席に座った二人組みのおばちゃんの会話が、聞くとはなしに耳に入ってきました。どうやら講演会を聞きに来ていた人たちのようです。パンフレットを手にしています。PTA関係の人かもしれません。その会話とは・・・・開口一番、 「あの人ら、あれでいくらぐらいもらってんにゃろな。」 「さあ・・・東京からやから結構もらってんのとちゃう?」 ヒャァー、やっぱり大阪はすごいなあ!当然、子どもは「親の背中を見て育つ」わけですから、ということは・・・・・。そのあと、 「能の人があんなん(絵本などで能を広める活動)やってるって、知らんかったわ」 とも言ってましたけどね。ちょっとビックリしました。 2007/8/14
(追記)8月末に伊丹市の小学校の先生たちにお話をする機会がありました。その打ち合わせの時に「モンスターペアレンツ」のことを教育委員会の人に話したら、やはりご存知で、 「昔からそういう親御さんは、いました」 とのこと。ただそういった人たちを「モンスターペアレンツ」という名前で呼ぶのは最近になってからだということです。名前を付けることで、その存在がクローズアップされるのですね。そういう意味では、やはり「ネーミング」というのは大事ですね。 2007/9/11
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◆ことばの話2957「私に意地悪した人は、みんな死んでるね」 8月12日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』で、パネリストの一人・田嶋陽子さんが、 「私に意地悪した人は、みんな死んでるね!」 と言いました。スゴイ言葉!歩く「デスノート」ですねえ・・・。これは田嶋さんのキャラクターもありますが、みんな笑っていました。たしかに、田嶋さんに意地悪した人も(特に田嶋さんより年上の人は)、 「長い目で見れば、みんな死んでるというのは事実」 でしょう。ただ、そのぐらいのスパンで見れば、 「田嶋さんに意地悪などしなかった人も、みんな死んでる」 のですから、田嶋発言は、 「事実ではあるが、真実ではない」 ということになります。8月13日の夜の『ニュースZERO』で、世界最高年齢でギネスブックに載っている114歳の女性・皆川ヨ子(よね)さんが亡くなったというニュースを伝えていましたが、この手で言うと、 「ギネスに載った最高齢の人は、みんな必ず死んでる」 というのも、「事実ではあるが真実ではない」ということですね。ギネスに載ったから死んだのでも、田嶋さんに意地悪をしたから死んだわけでもありません。「原因と結果」の因果関係は、なんら証明されていません。それを「あたかも真実であるかのように言う」ところが、おもしろいのでしょう。 今日読んでいた、国立富山商船高騰専門学校教養学科の金川欣二教授の新著『脳がほぐれる言語学』(ちくま新書)の中に、 「私は、必ず雨が降る呪文を知っている」 というのがありましたが、これはどんな呪文かというと、 「雨が降るまで、ずっと呪文を唱える」 ことで、どんな呪文でも「必ず雨が降る呪文」になるというのです。逆転の発想です。このほかにも、 「この街は『上り坂』ばかりですね」 と言った場合に、たしかに坂は多いかもしれませんが、本当は、 「行きの上り坂は、帰りの下り坂」 「上り坂の数と、下り坂の数は、同じ」 なのにそれを、自分の視点でしか見ずに言うことが、「笑い」を招くということですね。 こういうのって、ほかにも例があります。よく、イベント司会の冒頭で私が使うのは、 「いやあ、今日は、空席を除けば、すべて満席ですねー」 というコメントです。受けるかどうかは言い方にもよりますが、結構受けます。考えると(考えなくても)言ってることは「当たり前」なんですよね。「空席を除いたらすべて満席」というのは。本来は「空席があったら満席とは言わない」んだけど、それを「除いて」しまうわけだから。当たり前だから、あほらしい。だから笑う。 「“無理から”にでも『すべて満席』と言いたい(盛り上がらせたい)」 という気持ちが相手(お客さん)に伝わることで、笑いが起きるのではないでしょうか。 さらに最近私が考えたのは「吸殻のポイ捨て」に関してなんですが、 「本当にタバコを吸う人はマナーが悪い!ここにある吸殻は全部、タバコを吸う人が捨てたものだ!それに引き換え、タバコを吸わない人はマナーが良い!なにせ、ただの1本も、吸殻を捨てていないんだからね。」 というもの。どうです、ちょっとおもしろいでしょ?そうでもない?あ、そう。 たしかに、 (1)「吸殻をポイ捨てするのは、マナーが悪い」 (2)「ポイ捨てするのは、タバコを吸う人である。」 というところから、 (3)「だからタバコを吸う人はマナーが悪い」 と結論付ける「強引な三段論法」は穴だらけで、これだけだと、喫煙者に、 「なにを言ってるねん、無理矢理やないか!」 とお叱りを受けるでしょうが、それに加えてさらにもう一歩進んで、 (4)「タバコを吸わない人は、ただの1本も吸殻を捨てない」(=当たり前だ!タバコを吸わないんだから、吸殻を捨てようがない!) ということから、 (5)「タバコを吸わない人は、マナーが良い」 まで行くことによって、その「事実からの飛躍」が「笑い」につながるのではないかと考えています。ここでは(1)(2)(4)はそれぞれ「事実」ですが、それらの事実から導き出された結論の(3)と(5)は事実かもしれないし、事実でないかもしれない。つまりは「真実ではない」ということなんですね。その「ギャップ」がおもしろいんでしょうね。 こういう「当たり前のことを当たり前でないように」言ったりすると「笑い」が取れるのですが、意識して言う場合には「周りから見ると『意識していない』ことを装う」ことが必要です。しかも「装っていないように」も見せなきゃいけない。これが難しいんですよ、ボケるのは。キャラクターにもよりますしね。 ところで、全然関係ありませんがパソコン(ワープロ)で「たじまようこ」を変換したら、 「他事迷う子」 と出てきました・・・・迷っているのかな? 2007/8/13 |
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◆ことばの話2956「バックシャン」 8月4日の『ズームイン!SATURDAY』の「高橋流行通信」というコーナーを見ていたら、なんと、 「バックシャン」 という名前で呼ばれる「今年の流行」を紹介していました。え?バックシャン?それって昔々の流行語・・・それこそ坪内逍遥の『当世学生気質』の時代か、大正時代の「モボ・モガ」の時代かなのでは?意味はたしか、 「後ろ姿美人」 のことですよね? こういう時はこれで調べる!米川明彦先生の『日本俗語大辞典』!座右の書です。早速引いてみると・・・・ 「バックシャン」=(「バック」は英語back、「シャン」は独語 schon( 0の上にウムラート)「美しい」の変化した形)後ろ姿が美しい女性。また後ろ姿だけが美しい女性。「後ろ美人」とも言う。」 とあります。用例を見ると大阪では「落胆」と同じアクセントとで「バクシャン」とも言っていたそうです。1955年(昭和30年)でも通用していたと言います。 しかしやはりその昔の「バックシャン」とは違って、イマドキの「バックシャン」とは、 「うしろにリボンやリングがついた、背中が大きくあいた服」 のことだそうです。ふーん、名前がリバイバルしても、意味は変わってくるんですねえ。しかも、「男性が女性につけたニックネーム的な呼び名」ではなく、おそらく「女性が付けたファッションの名前」というところが今風ですね。それにしても今年のこの流行を、誰が「バックシャン」と名づけたのかな? 2007/8/13 |
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