(追記)
川崎市の西尾さんからまたメールをいただきました。
『番頭はんと丁稚どん』の昆ちゃんや小雁ちゃんは知らなくても、毎日香のCMの「さだきち君」ぐらいは、知ってて欲しいです。「薮入り」の言葉もCMに出てきた覚えがあります。円楽師匠の語りでした。昭和も遠くなりにけり…でしょうか。
>「なんで、その食べ物は『丁稚ようかん』と言うのか?」
『たべもの起源事典』(岡田 哲、東京堂出版)にはこんな記載があります。
「でっちようかん(丁稚羊羹)」=庶民的な蒸しようかんの一種。明石市(兵庫県)・神戸市・京都市辺りの名物蒸しようかん。赤アズキのこしあんに,コムギ粉・葛粉・黒蜜を混ぜ合わせ,竹の皮で包んで蒸し上げる。京阪神の年季奉公人に,長い問にわたり親しまれる。丁稚の名の由来は,(1)いつでも,気軽に食べられ,丁稚にも買えるほど安いとか,(2)丁稚奉公に出ている人が,値段の高い練りようかんの代わりに,手軽に里帰りのお土産にできたとか,(3)あんを練り上げる操作を,でっちる(捏ねる)と呼んだからとする説がある。江戸中期の文政年間(1818〜29)に,明石の藤江屋寅吉が,丁稚ようかんを創作したとする説がある。京の茶人の問でも,手軽で美味しいと評判になり,丁稚ようかんの老舗がある。」
明石の老舗「藤江屋分大」の話が、神戸新聞のサイトにありました。既にデッドリンクなので、Googleのキャッシュから今のうちにサルベージ。
「丁稚羊羹(明石) 思いやりが生んだ庶民の味 (掲載日:2002/10/12)
しっとり落ち着いたあずき色が、素材の味わい深さを物語る。表面のつややかな光は上品な甘さを象徴するよう。さくっとした歯ごたえが、至福のひとときにいざなう。丁稚羊羹(でつちようかん)。何とも庶民的なネーミングと、品の良いさっぱりした風味が人気だ。発祥の地といわれる場所は、滋賀県など関西を中心にいくつかあるが、もっとも有名なしにせが明石の「藤江屋分大」(同市本町一)。一八一八(文政元)年の創業で、初代当主の藤江屋文太夫が考案したという。「歴史はうちが一番長いはず」と安藤晋三社長(60)。江戸時代、城下町として栄えた明石。文太夫は参勤交代で江戸から戻った知人にうまい和菓子の話を聞き、それをもとに独自の菓子を作っていた。そんな文太夫は羊羹を初めて食べたとき、「こういううまいものを丁稚(少年店員)にも食べさせたい」と思ったという。羊羹の材料はあずきと砂糖、寒天。高価な砂糖をふんだんに使った羊羹は当時、使用人には手の届かない高級菓子だった。そこで文太夫は砂糖を控え、あずきの風味を生かすことにした。「丁稚」でも買える安さから付いた名は「丁稚羊羹」。豊かなあずきの風味とあっさり味が評判で、茶菓子としても重用されたという。
発祥説も語源説も色々あるようです。素朴で庶民的なお菓子ですから、各地で独自に考案され名付けられたというのが正解かもしれません。
ところで、『番頭はんと丁稚どん』がいつ頃の放送だったのか、ふと気になって「テレビドラマデータベース」で調べてみました。
http://www.qzc.co.jp/DORAMA_CGI/DORAMA1.EXE?RECNUM=1537
タイトル「番頭はんと丁稚どん」キー局・MBS、放送期間1959/3/9 〜 1961/12/25、
放送回数=146回
今では考えられない長寿ドラマですね。東京ニュース通信社の『テレビ50年』には、十円ハゲのこん松と小雁ちゃんの懐かしい一コマが載っています。いつも「こん松、ちょっと来い」と呼ぶのは、番頭の雁之助さんでしたか。
はあ、すごい!いつもいつも西尾さん、ありがとうございます! |