◆ことばの話1915「関ジャニ∞」
「あさイチ!」の番組の芸能コーナーで、
「関ジャニ∞」(カンジャニ・エイト)
というグループのことを紹介していました。関西出身で関西を中心に活動しているジャニーズのメンバーをこう呼んでいるそうです。「∞」(無限大)と書いてあったのを、
「ちょっと縦にしてみました」
というような感じで「8」と見て「エイト」と読むんだそうです。おもしろいですね。
それより何より、このグループの名前の、
「関ジャニ」
が気になります。その省略の仕方です。「関西」を略したのが、なぜ「関」なのでしょうか?なぜ頭の「関」を残して、後ろの「西」を省略してしまったのでしょうか?これでは「関西」も「関東」も同じように「関ジャニ」になってしまうではありませんか!
おそらく、
「西ジャニ」
じゃ、語呂が悪く収まりが悪かったのだとは思いますが、「関西ジャニーズ」を「関ジャニ」と省略する考え方の基本には、東京の「ジャニーズ」は、地方のジャニーズとは違って本家・本元だから、その「ジャニーズ」の頭に何か付けるなんてことは考えられない(たとえば「関東ジャニーズ」とはしない)という考え方があるのではないでしょうか?「関東」「関西」と分けてしまうと、この二つは「同格」、同じ土俵に立つことになるからです。本家は、何も修飾の付かない「ジャニーズ」であって、分家はいろいろ地域名が付く、そういった形なのではないか。そんなことを考えてしまいました。
2004/10/5
◆ことばの話1914「秋分の日」
9月23日は「秋分の日」。
「昼の長さと夜の長さが、同じになる日」
ですよね。春だと「春分の日」です。「そうですよね、米畑さん」と気象予報士の米畑詩子さんに、「あさイチ!」の本番の後に聞いたところ、
「はい!そうです!」
と元気のよい返事が返ってくると思いきや、
「うーん、実は、昼の方が6〜7分長いんですよねえ・・・。」
という答え。ええ!おんなじじゃあないの?これはオドロキです。
「なんで、なんで?」
と聞くと、
「調べておきます。」
とのことで、反省会の後、米畑さんが調べてくれたことを教えてくれました。
「実は、『昼と夜が同じ』というのは、太陽の赤道が水平線・地平線のところに来たときを基準に考えた場合なんです。でも普通、『日の出』は『太陽の頭が出た時』で、『日の入り』は『太陽のしっぽが水平線に沈んだ時』ですから、基準が違うんですよね。その分のズレが6,7分の違いになってくるということなんです。実際には、「昼」が6,7分長いんですね。」
ははあ、そう言うことかぁ。でも米畑さん、「太陽の頭」はわかるけど、「太陽のシッポ」って何なの?と聞くと、
「え?言いませんか?シッポ。最後に沈むのはシッポでしょう?」
「そうなの、お日さんはしっぽから沈んで行かない?」
「そんなことないですよ、出てくる時も沈むときも、頭からですよ!」
言われてみたらそうなんだけど、なんとなく沈むときはオシリから沈んでいくようなイメージがあるなあ。絵本の見すぎかなあ。
ちょっと勉強になった今年の「秋分の日」でした。 2004/10/2
◆ことばの話1913「かしわ」
9月最後の週末、福岡に行ってきました。所属している男声合唱団が、福岡県の柳川で演奏会を開いたのです。「合唱」でも「演奏会」と言うんですよ。
柳川は「男声合唱の聖地」とでも言うべき街なので、とても楽しみにしていました。と言うのも、男声合唱の定番、北原白秋作詞・多田武彦作曲「柳河風俗詩」の舞台なんです。と言うより、柳川は北原白秋のふるさとなんですよね。白秋を生んだ街を見てみたい、肌で感じたいという気持ちもあって、期待は大きかったのです。実際、暖かい聴衆の皆さんで、市長さんにもご出演いただいて、コンサートは大変盛り上がりました。
さて、その帰りの新幹線「ひかりレールスター」の中で食べた駅弁。「鳥そぼろ弁当」だったのですが、そのお弁当の名前は、
「かしわ飯」
でした。関西では、「鶏肉」のことを「かしわ」と言うのですが、なんと博多でも同じように「かしわ」と言うんだなあ、と新鮮な感じがしました。西日本は全部、
「鶏肉」=「かしわ」
なんでしょうかね!?ネットで「かしわ」について調べてみると、古来、宮廷では食膳の調理をつかさどった調理師のことを、「柏の葉に料理を盛った」ことから、
「かしわで(膳臣)」
と呼んでいたとのこと。そして「鶏肉」の「かしわ」は、
「宮廷で供された貴重な料理を表わす」
とも、
「地鶏の羽の色が、秋の柏の葉の色に似た茶褐色であったことに由来する」
とも、また
「鶏肉の色や形が柏の葉に似ていることから」
という説もあるそうです。「かしわ」は、なかなかに由緒のある呼び方のようですね。
2004/10/2
◆ことばの話1912「褐色の恋人」
「ことばの話140」で書いた「くらいめ阪大」で出てきた「スジャータ」。コーヒーに入れる、関西弁で言うところの「フレッシュ」です。「フレッシュ」も「ことばの話173」で書いてありますが。
この「フレッシュ」であるところの「スジャータ」を運ぶ「くらいめ阪大」・・・ではなく「大阪めいらく」の車のボディに、またしてもおもしろい文字を見つけました!
「褐色の恋人」
いや、実は見つけたのは妻なのですが、車を運転している時に彼女が、
「ねえ、前の車に書いてある『褐色の恋人』って、スジャータのことだよね」
「そうだろ。」
「でもスジャータってミルクみたいだから、褐色じゃなくて『白』よね。」
「そりゃそうやん。『褐色の恋人』の『褐色』は、『コーヒー』のことだから、『コーヒーの恋人』『コーヒーのお供』という意味やんか。」
そう説明したのですが、彼女は納得がいかない様子。ああ、たしかに北海道の定番のお土産である、
「白い恋人」
は、それ自体が「白」のクリームが入っているから、そのイメージで「褐色の恋人」を捉えると、「そのもの自体が褐色」だと思っても不思議はないですね。
つまり、「褐色の」「白い」というのが、ともに色を表す形容句になっているので、その後に続く「恋人」の性質(=色)を表すように思えるのですが、実は「褐色の」の「褐色」は、「恋人」の形容句ではなく、
「『褐色のコーヒー』の省略形」
なのです。つまり、
「道浦の恋人」
の「道浦」に当たるような部分が「褐色」なのです。だから省略せずに書くと、
「『褐色のコーヒー』の恋人」
ということなのですね。あー、ややこしい。すんなり、
「コーヒーの恋人」
と書きゃあ、こんな間違いはしないのに。一般の消費者に理解できない(わかりにくい)修飾語は、誤解を生むだけのような気もしますが・・・どうなんでしょうか。
2004/10/2
◆ことばの話1911「妙齢」
このところホームページを毎日更新しているUアナウンサーが質問してきました。
「道浦さん、こういう場合『妙齢の女性』って書いてもいいんですかね?」
「うーん、どうだろう。辞書を引いてごらんよ。」
と言いながら、実際に「妙齢」を『新明解国語辞典』で引いてみると、
「妙齢」=(壮年以上の人や男性から見た)女性の結婚適齢期の称。(古くは男性にも言った)
これを見たUアナウンサーが、ドッシェー!とぶっ飛びました。
「『壮年以上の人や男性』しか使えないの!?じゃ、私は使っちゃダメですか?」
「うーん、ほかの辞書も見てみろよ。」
『新潮現代国語辞典』を引くと、
「妙齢」=女性の、うら若い年ごろ。
あら。こちらはシンプル。別に誰が使ってもよさそう。もういっちょ、見ときましょうか。
『岩波国語辞典』です。
「妙齢」=うら若い年ごろ。
これも、味もそっけもないですな。ところで、「うら」って、なんなのさ。「うら」が付くものには、
「うらさびしい」「うら悲しい」「うら恥ずかしい」
なんてのがありますが。辞書によると、漢字で当てると「うら」は「心」で「本来の意味は心(こころ)」だそうです。「ちょっと」という意味かと思ってた。「心のうちでは」ということなんでしょうね。「顔で笑って心で泣いて」なんてのは「うら悲しい」わけね。
最後に『明鏡国語辞典』を引きました。
「妙齢」=若い年ごろ。特に、女性の若い年ごろ。妙年。▽「妙」は若い意。
あ、そうなんだ。「妙」=「若い」ですか。漢字を分解したら「女」の「(年齢が)少ない」のが「妙」ですね。「妙子」なんて名前の人は「若い子」という意味だったのですね。知らなかった!妙ですね。
「特に、女性の若い年ごろ」
とも書いてありますから、やはり「男性に使う」ことも、昔はあったのかもしれませんね。
ま、いろいろ調べてみて、別に女性のUアナが、女性に対して「妙齢の女性」と使っても、間違いだとまではいえないという結論に達しまして、そのまま使っていたようです。
そう言えば「妙齢」のことを、
「妙な年齢」
だと思っていた妙齢のご婦人もいました。あなたのことですよ、Aさん!
2004/10/2
(追記)
本日、10月5日の読売新聞の「日めくり」で、「うら悲しい」を取り上げていました。
2004/10/5
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