◆ことばの話940「ルイ・ヴィトン」

11月25日、ルイ・ヴィトンの神戸店が出来たというニュースを、夕方のニュース番組で伝えていました。あとでUキャスター(東京出身)に聞いたら、彼女はヴィトンのことを
「ヴィトン(LHH)」
と平板アクセントで言うというのです!ぬわにい、平板アクセントだとお、ゆるさーん、と思ったのですが、大体「ヴィトン」をお買いになる方々は「ヴィトン」は平板アクセントで呼ぶんだそうです。「ヴィトン(HLL)」と頭高アクセントで言う人は、所詮、「ヴィトン」とは縁のない人のようです。けっ。なーんか。むちゃくちゃ、気分悪い!
また「シャネル」も、東京の人は平板アクセントで
「シャネル(LHH)」
だそうです。
勝手にシャネっとけぇ!って感じ。(若者風に読んで下さい。)
ルイ・ヴィトンも、なんと全売り上げの3分の1は日本人が占めているそうで、それなら、日本人向けのヴィトンはアルファベットなど使わずにカタカナで
「ルイ・ヴィトン」
と書いた方が良かないか。マークも「LとV」を組み合わすのではなく
「ルとヴ」
を組み合わせばいかがか。結構、受けたりして。
あ、「ヴィトン」と書いてますけど、誰も「V」の発音はしていませんよ。みんな
「ビトン」
と言ってます。アクセントは別にして。
その後、関西出身の女性数人に聞いたら、ちゃんとヴィトンもシャネルも頭高アクセントだったのでちょっと安心しました。何でもかんでも平板にすんなよ!!



2002/12/1


(追記)

1月14日、明石家さんまの「踊る!さんま御殿」のスペシャルで、ゲストの生稲晃子が、
「ヴィトン(LHH)」
と平板アクセントでしゃべっていました。「エルメス」は「HLLL」と頭高アクセントでした。



2003/1/14


◆ことばの話939「文章読本さん江」

斎藤美奈子さんの小林秀雄賞受賞作、『文章読本さん江』(筑摩書房)
を、ようやく10月になってから読み終えました。2月に初版が出てすぐに買って、ちょっと読んでほったらかしになっていたのですが、読み進むとやはり大変おもしろいし、勉強になりました。
内容に関しては書評などでも紹介されていますし、実際に買って読んでいただくとして、特に後半の方の、「そうなのよ、それを言いたかったんや!」とものすごく共感を覚えた一節をご紹介します。
最終章「様々なる衣装」250ページからの「衣装は体の包み紙、文章は思想の包み紙」というところ。



「私はこういうことではないかと思う。文章とは、いってみれば服なのだ。『文は人なり』なんていうのは役立たずで、ほんとは『文は服なり』なのである。こんなことはいまさら私がいうまでもなく、古代ローマの時代から指摘されていたことだった。」



これと同じことを、私は今年の夏、本から読んだのではなく自分の実感として読売新聞の記者の方に話したことがあったのです。



「日本語、言葉は服と同じです。TPOによって使い分けるべきです。結婚披露宴にTシャツで出たらおかしいでしょう?だからといって海水浴に行くのにタキシードを着るのもおかしい。それぞれの服が、その状況にあった使われ方をするように、言葉も『正しい言葉』(=タキシード)だけを持っていて、着たきりスズメで良いかというと、そうではない。場面に応じた話し方、言葉使いがあって然るべきだということです。」



なんてことを話したのです。だからこの本を読んで「なんだ、みんな、おんなじことを考えてるんじゃない!」とまさに「我が意を得たり!」という気がしました。



そして斎藤さんによると、各「文章読本」でも「文=服」説は、次の3つの側面から語られているそうです。
(1) 文章(衣装)は思想(肉体)に形を与える道具である
(2) 文章(衣装)は礼を示す形である
(3) 文書(衣装)は時流によって変化する



「文と服の類似を指摘したまではいいけれど、なんか変。服装といっても彼ら文章家がイメージするのは、成人男性の、それも多くはホワイトカラーの衣服ばかりなのだ。しかも異様に時代錯誤。紋付き、羽織袴、チョンマゲ、着流し、ステテコ、モーニング、ランニングシャツ。衣冠束帯!裃?さすがの谷崎潤一郎も、まさかカミシモは着用していなかったと思うぞ。文章家のみなさまは、文章に心を砕くほどには、ファッションに関心がないのだろう。どうりで、ジャーナリスト系の文章読本には色気が不足していたはずである。(中略)新聞記者の文章作法は『正しいドブネズミ・ルックのすすめ』であり、まさに新聞記者ファッション風なのだ。」



ちょっと引用が長くなりましたが、私はこの本を読んで「うーん、そうなのか」と納得することが出来ました。(すべてについてではありませんが。それに辛口の批評とおトボケも味があって、なんとも充実感を持って読み終えることが出来た一冊でした。



2002/12/4


◆ことばの話938「しばらく」

11月6日の毎日新聞の記事を見て、Sキャスターが話しかけてきました。



「この記事の文章、意味がわからないんですが・・・。」



その記事の見出しは、



「後藤田氏引退は『痛恨』」



というもので、Sキャスターが「わからない」と言ったのは、こんな文章でした。



「勲一等旭日大綬章の受賞が決まった自民党の野中広務元幹事長(77)=似顔絵=がしばらく前、民法テレビに出演、後藤田正晴氏(88)の政界引退を惜しんでみせた。」
といもの。この中の「しばらく前」というのが、



「この『しばらく』は、一体いつのことを指しているのか。ちょっと前なのか、ずっと前なのか、わからない。」



というものでした。
辞書で「しばらく」を引くと、なんと「少しの間」という意味と「長い間」という、まったく正反対の意味が載っています。



NHK放送文化研究所の塩田雄大研究員にメールで聞いたところ、『日本国語大辞典』の用例を調べてくださって、



「『少しの間』の意味の『しばらく』の用例は西暦720年なのに対して、『長い間』の意味の『しばらく』の用例は1885〜1886年であることから、『しばらく』の原義は『少しの間』で、それが明治頃に『長い間』に拡張したのではないか。たとえば『ちょっと困る』というのも実際には『本当にずいぶん困る』という事を表す場合もあるから。同じく『やや』『若干』『少々』なども、そういう意味合いがあるのではないか。」



というお答えをいただきました。
私も原義が「少しの間」でそれが転じて「長い間」も表すようになったと思います。



その「少しの間」の「しばらく」というのは客観的に第三者的に見た場合の「しばらく」で、その中に入っていくと、つまり微分的な考え方でズームイン!すると、その「少しの間」が、とてつもなく「長い間」になるという、無限論のような考え方において、「長い間」の意味の「しばらく」が登場したのではないか、と私は考えました。お釈迦様の掌の上の孫悟空を連想しました。
で、上の記事の中の「しばらく前」というのは、一体「ちょっと前」なのか、「ずいぶん前」なのか?ですが、これはやはり「ちょっと前」ということでしょう。そうでないと話がつながらない。



それにしても、これだけわかりにくい文章は、記事として及第点は与えられません。おそらく、記者が送ってきた長い原稿をデスクが短くしたら、こんなになっちゃったのでしょうが。何度読んでもわかりにくいです。



2002/12/1


◆ことばの話937「辛気臭い」

おそらく関西弁だと思うのですが、「しんきくさい(辛気臭い)」という言葉、私はこれまでこんなふうに使ってきました。



「一枚一枚貼っていくなんて、しんきくさい作業やなあ。」
「チマチマやるなんて、しんきくさいわ。」



つまり、「なんとなくビンボウくさい、チマチマしたことを『しんきくさい』だと思ってきた」のですが、どうも微妙に意味が違うようなのです。
牧村史陽さんの『大阪ことば事典』(講談社学術文庫)で引いてみると「しんき」の項に、



「心がくさくさしていら立たしいこと。もどかしい・じれったいことの意。」



「しんきくさい」は、
「邪魔臭い、シャラくさいなどと同じく、辛気・邪魔。シャレを強調したもの。前項と同じく、感嘆詞としてはああシンキクサと「使用する。(例)あんなシンキクサイ妓(こ)、お座敷つとまるやろか。」



『三省堂国語辞典』にも「方言」として載っています。
「しんき(辛気)」・・・「心がはればれしないようす。」
「しんきくさい(辛気臭い)」・・・「いらだたしい。じれったい。」



『新明解国語辞典』にも「関西地方方言」として載っています。
「しんき(辛気)」・・・「何か心に引っかかるものが有って、いやでたまらない。」
「しんきくさい(辛気臭い)」・・・「『辛気だ』の強調表現。」



『広辞苑』には「心気臭い」として載っていました。
「思うにまかせず、くさくさした気分である。じれったく、いらだたしい。」
「方言」とは書いていませんが、用例は、滑稽本の『妙竹林話七偏人』から、
「ああ、しんきくさい」「しんきくさい仕事」
というのが載っていますが、もっと前後の文も載せて欲しいものです。



最近購入した『明鏡国語辞典』(大修館書店)も引いてみましょう。ウ〜ン、いい香り!
「しんき(辛気)」・・・「気が重いこと。くさくさすること。また、はっきりしなくてじれったいこと。(例)辛気な人」
とあります。方言とは書いてないぞ。続いて、
「しんきくさい(辛気臭い)」・・・「思うようにならなくて、じれったい。また、気がめいって、どうもやりきれない。(例)しんきくさい話」
うーん、この「気が滅入ってどうにもやりきれない」というのは、私が思っていた「辛気臭い」に近い感じがします。



『日本国語大辞典』はどうでしょうか。「しんき(心気、辛気)」は、さすがに、いっぱい載っています。「しんきくさい」の方を見てみましょう。これもたくさん載っています。



「(「くさい」は接尾語)思うようにならないで、じれったい。気がくさくさしてめいってしまうようである。(例)*滑稽本・七偏人(1857〜63)四・上「噫々(ああ)しん気臭い」*父親(1920)里見とん「あんな、道具屋みたいな辛気くさい商売がしてゐられるかいな。」*縮図(1941)(徳田秋声)郷愁・14「辛気くさい洗濯や針仕事は忙しい妓には無理でもあり」*僕の手帳(1951)渡辺一夫「この手紙は、いやにしんきくさいものになりましたね」



また、方言としても取り上げられていて、新潟、富山から西の地域で使われているようです。また、意味も地域のよって微妙に異なり、「陰気で心が晴れ晴れとしない」「けだるい」「退屈である。所在ない。」「もの寂しい」「動作が鈍い」「待ち遠しい。遅い。」という意味でも使われているようです。



念の為、GOOGLE検索。



「辛気臭い」・・・・・7260件
「しんき臭い」・・・・・64件

「辛気くさい」・・・・3940件
「しんきくさい」・・・・584件




でした。結構、使われています。
「しんきくさい」も奥が深いですね。

2002/12/1


◆ことばの話936「島と陸」

唐突ですが、島と陸の違いは何でしょうか?



島も陸地であることは確かですよね。
では、島ではない陸地というのは何を指すか?つまり島と、陸地もしくは大陸との境目はどこにあるのか?という疑問です。
では大陸というのは?「五大陸」というのがありますね。ユーラシア大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸、あれ?六つある?「六大陸」か。
スリランカは、結構大きな「島」で「国」ですね。モーリシャスも大きな島国ですね。日本も"改めて"ですけどまさに島国ですね。
でもオーストラリアは「島」のような気もしますが、世界地図の上からは。
困った時の『日本国語大辞典』、引いてみましょう。



「島」・・・「周囲を水で囲まれた陸地。分布の状態から諸島、列島、孤島、などに、また、成因から陸島、洋島に区別され、洋島には火山島、珊瑚島などがある。」



おお!確かに諸島ありますね、フィジー諸島。列島、ありますね、日本列島。日本はやはり島だ、国だけど島だから島国だ。アリューシャン列島というのも
あったな。でも「陸島」「洋島」は初耳。なんだろう?



「陸島」・・・りくしま、載ってないぞう・・・あ、「りくとう」でした。
「かつては大陸の一部であったと推定される島。日本列島、グレートブリテン島、マダガスカル島など。大陸島。」




ほう、そんな分類があるのか。続いては、「ようとう」です。



「洋島」・・・「海洋中に孤立している島。大陸とは関係なく、火山やサンゴチュウなどの作用でできたもの。大洋島。」



「陸」はどうやろか。



「陸」・・・「地球表面上で水におおわれていない部分。地球表面の約四分の一で、岩石および土壌で構成されている。おか。くが。陸地。」




ついでに「大陸」も。



「大陸」・・・(1)広大な陸地。大州。(2)一般に地球表面に広大な面積を占めて現われている主な陸地。ふつう、ユーラシア(アジア・ヨーロッパ)・アフリカ・南アメリカ・北アメリカ・オーストラリア・南極の六大陸をさす。



とありました。



結論!
「島」は周囲を水に囲まれた陸地。「陸」は水のないところ。
「島」もまた「陸」なのですが。水に囲まれているかどうかがポイントのようです。なんとなく納得しました。



2002/12/1


(追記)



なんでしょうね、この人は。私のホームページを読んだのかな?という冗談はさておき、奇遇ということはあるんですね、今朝(12月5日)の朝日新聞の「特派員メモ」でシドニーの大野拓司さんという記者が書いたコラムのタイトルが、なんと「『「島」か、『大陸』か』です。内容は、
「オーストラリアは『島』なのか、『大陸』なのか。地図の上を眺めながら、ぼんやり考えていたら、古びた解説書にこう書いてあった。『世界最大の島にして世界最小の大陸なり。』あっ、そうそう、『島大陸』という表現も見つけた。」
という書き出しで始まるのですが、結局、結論が出ずに、大野さんの寝つきが悪くなったという締めくくりでした。やっぱり、気になる人っているんですね。


2002/12/5

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