◆ことばの話555「買い主」
2月5日、東京地裁で、ある判決が出ました。大正製薬がドラッグストアチェーンの「ダイコク」を相手取り、製薬会社の営業秘密である仕入れ価格をチラシにうたい「原価セール」を行ったのは不正競争防止法に違反するとして起こした裁判です。判決は、
「仕入れ価格は買い主なら当然わかるものなので、営業秘密にはあたらないし、不正競争行為にならない」
というものでした。この判決要旨の中の「買い主」という言葉、私は聞いていて、
「なんの飼い主だろうか?」
と思いました。あまり耳にしませんね。広辞苑にはちゃんと載っていました。
「買い主」=ものを買う人。買手。(反対語)売主
なるほど。反対語の「売り主」なら、よく耳にしますけどね。「買い主」はあまり聞かないなあ。どちらかと言うと、広辞苑でも書いているように「買い手」のほうがわかりやすいよな。実際、翌日(2月6日)の読売新聞には「買い手」と表記してありました。
広辞苑によると、
「買手」=買うほうの人。買方。買主。(反対語)売手
そうか、「買方(かいかた)」という言い方をあるのか。どちらかと言うと、「買い主」「買主」「買方」は、いずれも証券業界などの専門用語・業界用語のように思えます。でも、字を見れば簡単に意味はわかる業界語なので、一般語の中に混じってしまっているのではないでしょうか?
「NHKアクセント辞典」を見てみました。5日のニュースでは「買い主」のアクセントを頭高で(HLLL)読んでいました。だから「飼い主」のように聞こえたのです。アクセント辞典には「飼い主」と「買い主」の両方のアクセントが載っていました。それによると、
「飼い主」は、頭高(HLLL)と中高(LHLL)の両方が、そして「買い主」のほうはと言うと、なんと平板(LHHH)と中高(LHLL)しかないのです。つまり、
「HLLL」と読んだら「飼い主」、「LHHH」と読めば「買い主」
とアクセントでの区別が可能なのです。
でも、やっぱりややこしいから「買い手」と書いて。
お願いします。
2002/2/6
◆ことばの話554「関西上陸」
2月5日、兵庫県伊丹市に、総合ディスカウントストアの「ドン・キホーテ」がオープンしました。これまでは首都圏を中心に店舗展開をしていてたドン・キホーテ、関西では初の出店です。実は先日(2月2日)中継の仕事で、例の強制捜査が入った雪印食品の関西ミートセンターに行ったのですが、その時にこのドン・キホーテが開店準備をしている様子を目にしました。雪印の近くにあるんですね。が、関西では初の店舗とは知りませんでした。それで、この事を伝えたニュースで、
「ドン・キホーテが関西初上陸を果たします。」
という一文がありました。例によって、「ちょっと待った!」です。
「"上陸"という言葉は、海から陸に上がる時、つまり、主に海外から進出する時に使うのではないか?」
東京から関西にやって来ても、陸伝いではないか。船便でやった来るのならともかく。ちなみに空からやってくる時は「着陸」ですね。アメリカから入ってきたのなら、海を隔ててるから「上陸」でいいでしょう、たとえ飛行機でやってきたとしても。「ドン・キホーテ」としては、関西は「海の向こうにある新たなる陸地・大地(消費地・商売の処女地・・・処女地なんてのも、いかんな、きっと。)」と考えているのでしょうかね。表現上は、「進出」と言うより「上陸」のほうが、勢いがありますよね。攻撃的ですよね。むちゃくちゃ、しそうですね。先住民を荒らしたりして。
あああ、揚げ足ばっかり取って、やだな。
でもやっぱりおかしいですよね、「上陸」。
「比喩的だから、いいんじゃない?」
というのが大方の意見ですが、比喩というのはあれかな、関西はディスカウントストア業界にとっては「陸の孤島」であって、そこに出店するのだから「上陸」という意味なのかな。それは皮肉がききすぎですよね。今、「陸の孤島」と言う表現も「差別的」だとしてあまり使われなくなっているし。本当の孤島(海の孤島)の立場はどうなる?逆の立場で言うと「首都圏こそ、陸の孤島」と考えることも、できなくはない。
いかんいかん、話がそれてしまった。今日は、それっぱなしです。それたついでに恥をさらすと、私、以前「ドン・キホーテ」を「ドンキ・ホーテ」だと思っていました。だって、「ろば」も出てくるでしょ、ドンキホーテが乗って、サンチョパンサと一緒に。「ドンキー・コング」なんてのもありましたな。
もとの「上陸」に戻ると、比喩で使うのはいいでしょうけど、本来の意味を忘れてしまった誤用はいけないのではないか。ここで「ガンコじいさん」的な立場を取るか、「物わかりのよいおじさん」的立場を取るか、悩むんですよねえ、いつも・・・。
2002/2/6
(追記)
2007年8月3日の日経新聞夕刊に、
「青森ねぶた祭が米本土に初上陸」
という小さな記事が。8月19日のロサンゼルス市内のリトルトーキョーで披露されるそうです。この「上陸」は海を越えてアメリカまで行くのですから、「上陸」で結構です。
2007/8/4
(追記2)
ビートたけしさんの『漫才』(新潮社:2009、5、25)という本を読んでいたら、
たけし「金髪ストリップ関西より上陸」
きよし「関西と東京は陸続きだ。上陸じゃないよ。」
という漫才のネタで「関西より上陸」が出てきました。
2009/8/13
◆ことばの話553「大阪国際女子マラソンから」
1月27日の日曜日、大阪国際女子マラソンの中継をやっていました。
マラソンの実況中継は、42,195キロ、2時間半にもおよぶ長丁場ですので、いろんな人達のチームプレーになるわけです。また"台本のないドラマ"なので、事前に完璧な原稿を作ることなど不可能です。もちろん入念な準備は行うわけですが。
そんな中で厳しいことを、しかもよその局の中継に関して、余計なことを言うようですが、何か所か、気になる表現がありました。まず、
「ヌデレバ(選手)とは親友関係にあるキプトラガ選手」
「親友関係」って、どういう「関係」なんでしょうか。すっきり「親友の」と言えばどうでしょうか。「親友関係」って、うそくさい「親友」です。次に、
「サバイバル・レースの様相を呈してきました。」
もうひとつ、意味しているところがよく伝わってこないんですけど。「サバイバル・レース」って「生き残り」のレースってことですよね。どういう意味の「生き残り」なんでしょうか?よくわかりません。先頭集団に残れるかどうか、というのが「サバイバルゲーム」なんでしょうか?マラソンですから、要は最後に一番でゴールすればいいのに、「サバイバルレースの様相」というのがピンと来ません。マラソンの場合には、何か特別の意味があるのかもしれません。
「今年も色とりどりのユニホームに身を包んだ選手たちが・・・。」
これは微妙ですが、ユニホームというのは、「同じチームの選手が着る、同じデザインのもの」を指すのではないでしょうか?そうすると、チーム競技ではなく、個人の闘いであるマラソンの場合は、「ユニホーム」という言い方はどうなのかなあと、気になるわけです。たとえば高校野球のように団体競技でたくさんのチームが集まっていて、そのユニフォームが「色とりどり」なら、気にならないのですが、マラソンは個人競技ですから。でも、定着しているような気もします。ほとんどの人は、全く気にならないんでしょうね。
最後に、優勝したキプトラガ選手、優勝インタビューで、インタビュアーの「Conguratulation!」
という言葉に対して、
「マイド、オオキニ!」
と大阪弁で答えていました。なんと、勉強熱心な・・・というか、サービス精神旺盛な!
この答えだけでもなかなか楽しめたことを付け加えておきます。
2002/2/4
◆ことばの話552「奪回と奪還」
プロ野球のキャンプが始まりました。「球春」ってヤツですか。
さて、その野球の記事でよく見かけるのが
「V奪還」
という言葉。これ、「奪回」と「奪還」はどう違うのであろうか?考えてみました。
どちらも「奪」は一緒だから、ちがうのは「回」か「還」かということですね。
「回」は「回る」ということですから、「優勝が回ってくる」つまり「優勝そのものは、どこのチームがすることに決まっているわけではない=それほど強いとされる本命のチームではないが、わりと近い過去にたまたま優勝したチームが、去年は優勝できなかった、だから、また優勝を狙ってやる」・・・という語感があります。(私は。)
それに対して「還」は、「還暦」でお馴染み、「戻ってくる」「帰ってくる」という意味でしょう。そうすると、「もともとうちは自他ともに認める強いチームで、何度も何度も優勝している。たまたま去年とその前(ぐらい)は優勝できなかったけど、今年は絶対に、もともとあるべきポジションである首位について優勝を取り戻すっっ!!」というような感じがあるのではないでしょうか?
とまあ、ここまで考えた上で辞書をひいてみました。先に答えを見ると、つまんないですから。まずはいつものように「新明解」。
「奪回」=(的に奪われていた陣地などを)奪い返すこと。(例)政権奪回を目ざす。
「奪還」=相手の手中に帰したものを、こちらが実力でもう一度取り返すこと。(例)選手権を奪回する。
フム。私の感覚とは違うような。次は「広辞苑」。
「奪回」=うばいかえすこと。奪還。(例)陣地を奪回する。
「奪還」=うばいかえすこと。(例)選手権を奪還する。
なんと!!広辞苑は「奪回」と「奪還」は一字一句同じ、ひらがな8文字で意味を書いてますぞ!これでは「回」と「還」漢字が違っても意味のニュアンスの差はないということになりますまいか?
実はちょっと心配してたんだよね。「奪回」を引いたら意味のところに「奪還」と書かれてるんじゃないかと。やっぱり、そんな辞書があったんだなあ。私の疑問には答えてくれない辞書です、今回は。
こうなったらやはり日本国語大辞典の登場ですか。期待してますぞ!
「奪回」=奪い返すこと。とりもどすこと。奪還。
「奪還」=奪い返すこと。奪回。
嗚呼・・・日国大、おまえもか!気体は裏切られたのでした。
うーん、奪回と奪還は同じなのかなあ。微妙に違う気がするのですが。その辺に言及したものは他にないのでしょうか?
「取り返す」と「取り戻す」の違いなのかなあ。でも日国大には両方併記してあるし。
役に立たんなあ。残念。
2002/2/4
◆ことばの話551「泣ける」
レンタルビデオ店に行きました。何を借りようかなと品定めをしていると、
「泣ける1本」
というキャッチフレーズのついたビデオが目に入りました。
別に「泣こう」と思っていたわけではない私は、この「泣ける」という言葉に引き付けられました。
ひとことに「泣く」と言っても、悲しくて泣くだけじゃなくて、嬉しくて泣いたり、感動して泣いたり、同情して泣いたり、悔しくて泣いたり、まあ、いろんなケースが考えられます。
また、「泣ける」には二つの意味があると思います。
一つは、泣こうとは思っていないのに「自然に泣けてしまう」という「自発」の意味です。もう一つは、「泣くことが出来る」という「可能」の意味。
この場合の「泣ける」は一体どちらなのか?
おそらく、このビデオを見ようという人は「自然に泣けてしまうものを見たい」という気持ちがあるのでしょう。そういう意味では、二つ目の「泣くことが出来る」に近いのではないでしょうか。
その背景には、普段の実生活では、なかなか泣けない。あるいは悲しくて泣きたくなるようなことはあるけれども、泣いては、いられないケースが多い。一方で、感動して泣くようなことは、なかなかない。そこで、ビデオなどの仮想世界に「泣く」ことを求めてストレスを発散させようとしているのではないでしょうか。つまり、人は「泣く」ことを欲している。そのための題材、ネタを欲しているように思えます。それに答えたのが、ビデオ店の「泣ける1本」というキャッチコピーになったのではないでしょうか。
2002年1月30日の読売新聞に、さる1月19日に行われた「第1回・読売こころ塾」の模様が掲載されています。塾長は、国際日本文化研究センター所長で宗教学の山折哲雄(やまおりてつお)さん、ゲストは作家の川上弘美さんです。そのなかで
山折さんがこんなことを発言されています。
「民俗学の柳田国男は、1941年、涙についてのエッセーを書き、最近の日本人は泣かなくなったと、心の潤いを失った状態に警鐘を鳴らした。戦争の時代で、日本人の感情はこわばっていたのだろうが、柳田は原因を明治以降の共通語教育に求めている。自分をコトバで表現できるようになったために、肉体言語である涙はいらなくなったと。」
柳田国男は、涙を「肉体言語」というふうに捉えていたのですね。音声言語ではないという意味では、いわゆる「ノン・バーバル・ランゲージ」の一つと考えていいのでしょうかね?
以前、平成ことば事情で「感動」について何回か書きましたが(183「感動をありがとう」、353「感動した!!」)、「涙」=「泣く」こともまた、現代日本人が失ってしまったことで、切望していることの一つなのかもしれません。
2002/1/31
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