『魔王』と『呼吸』の連作を載せた文庫本。初出は2004年と2005年。世の中が“小泉旋風”に塗り込められていたころだ。著者は、「ここで描かれたファシズムや国民投票はテーマではない」とあとがきで書いているが、あえて書くということは、やはり意識していたということではないか?
「物事の大半は、反動から起きるんだ」マスターの言葉。(141ページ)
「俺が思っているよりも容易く、ファシズムは起きるんじゃないか、って」(146ページ)
「『注文の多い料理店』は、いつのまにかファシズムに飲み込まれる民衆と同じ。」(79ページ)
というあたりに、それは現れているように感じた。
もちろん、主人公の安藤とその弟・潤也の「超能力」が小説の"肝"のように見えるが、やはり本当に著者が提示したかったのは、世の中の空気、一方向に走りだしたときに誰も止められなくなる狂気、だったのではないか。そのあたりは、解説の斎藤美奈子の文章が的を射ていると思う。 「ノーバディグッドマン、昔アメリカで20人殺して死刑になった男。“この世の中で一番贅沢な娯楽は、誰かを許すことだ”(75ページ)
というくだりや、
「細い体型をした茶色の雑種犬だ。うろうろと小屋の周りを歩き回り、しゃがんだと思うと、『ばうばうばう、ばうっ』と、閉まった雨戸に向けてほ(口へんに孔)えた。」(121ページ)という犬の鳴き声はおもしろい。
「“ごきげんよう、おひさしぶり”が“ごきぶり”」(127ページ)
というくだりは、
「“あけましておめでとう、今年もよろしく”を省略して“あけおめ、ことよろ”」
と言うのに似ている。そして、
「ゴキと来て、ブリだからな。あの濁音の続く音はおぞましいよ」(128ページ)
というのは「濁音」の感覚を示していると思った。また、
「頭にちゃんと入ってなけりゃ知識でも知恵でもないぞ。」
という、登場人物のセリフには「そうだよなあ」と同意。なんでもかんでも知識を「外付け」する時代だからこそ。
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