今年の4月くらいに購入して読みかけたけど難しいのでそのまま読みさしになっていたが、この機会に気合いを入れて読んだ。どの機会かというと、参院選の取材で滋賀県に何度か行ったのだが、その移動の電車の中で。
「いやあ、奥が深い」と、つい言ってしまう。日本の数の数え方には大和言葉の「和語」の数え方と「漢語」の数え方があるが、後から入ってきた漢語の数え方にも、古い「呉音」のものと新しい「漢音」があるということなど、それがどう交じり合っているかなどが詳細に述べられている。また大きな数は、仏教の用語サンスクリットとの関わりがあることなども納得できて、大変興味深い。後半の「和算」に関するとこと、そろばんに関するところは、正直言って難しく、だいぶ読み飛ばしました。すみません。
いくつか「ほお!」と思ったところを書き留めておく。
「日本語の十にも微妙な影がある。数字としての十はとお、であるがこれにはひとケタ数字の語尾につく『つ』がつかない。理由は不明だがおもしろい。そして重要なことは、とお、という表現は十どまりで、その倍数表現には『そ』が使われる。三十がみそ、四十がよそ、である。この辺は整理し切れなかった古代の名残が見えかくれしている。」
「古代数詞の特徴の一つに、順序数の意識が弱いことが挙げられる。たとえば記紀では第一番目は『はじめに』であって、二番目は、『つぎに』、といい、三番目も、『つぎに』、という表現が多い。順序は文章表現でまかなったようである。順序表現の欠如は現代日本語にも引き継がれている。」
あ、東京の地下鉄の、電車が来る順番の表示のことだ!
「単数、複数の話をしよう。日本語にこの差がないのは世界的に有名であり、日本人も皆知っている。しかし、古代日本語には、それがちょっぴりあったのだ、という例を示そう。
それは日の数え方である。古代ではひとひ、ふつか、みっか、・・・と数えた。『ひ』が単数語尾、『か』 が複数語尾である。今日では「いちにち、ふつか、・・・とチャンポンになっている。なお一日をついたちと呼ぶのは、月立ち、つまり月の初めの新月のことで、これは別の話である。いずれにしても例は少ないながら単数、複数は存在した。」
うーん、興味深いですよねえ!おもしろい!!
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