出張で青森県弘前市に行きました。弘前というと、青森市よりも北のイメージがあったのですが、実際には、青森よりも南西でした。弘前市内のどこからでも「津軽富士」とも呼ばれる雄大な「岩木山」(写真)を仰ぐことが出来、「こういうところで育ったら、どっしりと落ち着いていられるのではないかなあ・・・」
と思いました。
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岩木山 |
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斜陽館 |
あいていた時間、弘前からJR五能線と津軽鉄道を乗り継いで、「金木町(かなぎまち)」まで行き、太宰 治の生家が記念館になった「斜陽館」(写真)に行ってきました。なかなか立派なお屋敷で、「昔の田舎の家」を久しぶりに見ることが出来ました。
その記念館の前の売店で新潮文庫の『津軽』を買って、帰りの列車の中と大阪まで戻る飛行機の中で読みました。
まあ、これは紀行文・・・というかなんと言うか、いまなら週刊誌に連載されているような文章、エッセイですね。
大阪に帰ってきてから弘前出身の虎谷アナにその話をすると、もう目を輝かせて話しに聞き入っていました。本当にふるさと・弘前が好きなんですね。太宰の『津軽』は、「高校生の時の課題図書で読みました!」とのこと。それで1951年初版でいまだに新潮文庫に入っていて、しかもいまや107刷という大ロングセラーなのか。酒飲んで貧乏旅行する様子なんか、高校生に読ませていいのかなあ。
これを読むと、私は太宰という人のことは、
あまり好きではないなあと感じました。
中学1年生の頃、梅雨の時期に近くの小さな本屋さんに言って、太宰 治の文庫本を買ったことがあります。今から30年以上前の話です。そのときに店のおばさんが、
「今日は桜桃忌(おうとうき)だね。」
といったのですが、その意味がわからずに聞き返すと、
「太宰 治の亡くなった日だよ」
と教えてもらいました。太宰との不思議な縁を感じたのでした・・・・って、それ以上の話ではないのですが。
で、太宰は実は誕生日も6月19日で、玉川上水から遺体が見つかったのが昭和23(1948)年6月19日。亡くなったのは、それより前の6月13日と言われているそうです。
1909(明治42)年生まれなので、生きていれば98歳。あの日野原先生よりちょっとだけ先輩くらい・・・ということは、生きていても不思議はないのか。なんか、不思議な感じです。
「斜陽館」で学んだこと。
蔵を見学していると、レンガの積み方に「イギリス積み」と「フランス積み」があることがわかったのです。
「イギリス積み」は、一列目はレンガを「横」に長く並べ、その上の二列目はレンガを「縦」に積み、三列めはまた「横」に積む、ということを繰り返す積み方です。こうすると見た目は、奇数列と偶数列でレンガの並びが異なります。
一方「フランス積み」は、同じ列で「横・縦・横・縦」を繰り返して並べる積み方です。
そんなこと意識したことなかったなあ。この写真を見ると、「斜陽館」の塀というか柱のレンガは、「フランス積み」のようですね。こちらの方が、よく目にするような気がします。
弘前の夜は、本当にさびしくて、「夜が夜であることが出来る街」だなあと思いました。
今、都会では「夜」がなくなっていて、まさに「町ぐるみ不夜城」ですが・・・。「昼が昼である」ためには、「夜が夜である」ことも必要なんじゃないかなと思いました。
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