佐藤武義さんのお名前は聞いたことがあったが、よくは知らない。ちょうど私の親父と同じ世代。
この本は言語学の専門書ではなく、一般の人も読めるようにというエッセイ集のように思える。でもそれほど文章は柔らかくないのですね。と言うのも書下ろしではなく、これまでに書いたものを集めているのです。それも一般の雑誌向けに書いたのではなく、専門誌向けに書いたものを。
読んでいて、「青雲(あおぐも)」という言葉は、漢語からの翻訳語で、もともと日本語の中にはなかったというエッセイに関しては「おっ」と思った。というのも私の母校・早稲田大学の応援歌のひとつのタイトルが「光る青雲(あおぐも)」で、よくうちの合唱団では歌うからだ。「青雲の志」などの場合は「せいうん」と読みますから「あおぐも」は確かにちょっとヘンといえばヘンです。
エッセイの一つ、「ヘップバーンとヘボン」は、よく私が外国語とカタカナ語の説明をする時に、「耳から入ったカタカナ語と、目から入ったカタカナ語」の例で出すのですが、言葉の専門家(学者)も、やはり注目していたのですね。
また、『漱石の「ポケット」』は目の付け所がおもしろい。当初、漱石は『坊つちゃん』『野分』『虞美人草』『三四郎』『彼岸過迄』『行人』『明暗』などでも「ポッケット」と書いていたのが、絶筆の『明暗』の中の161章以降には「ポケット」という語形が見られるそうです。そもそも明治末の段階では「ポッケット」が主流で、「ポケット」は「訛り」と見られていたとか。外来語の表記も時代とともに移り変わり、表記の変化が発音の変化にも影響を与える(逆かな。発音が先かな、やっぱり。)のですね。「ジャージー」と「ジャージ」、「パーカ」と「パーカー」も同じような運命をたどりそうですね。 |
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