ふだんはあまり小説を読まない私だが、前から横山秀夫のもの、特に『半落ち』は読んでみたいと思っていた。しかしなぜか、前から読もうと思っていた『半落ち』ではなく、最新刊の方を読んでしまった。初版が出てから3週間で、もう3刷りというのは、売れているということだろう。
読み始めたら止まらず、一気に最後まで読み終えてしまった。その意味では文句なく「おもしろい!」と言える、シドニー・シェルダン的に。でも読み終わったら、ちょっと物足りなさを感じたのも事実。
新聞記者出身の著者の筆の運びは、事実(あらすじ)を適確に描くのには向いていても、文学的な余韻に乏しいのではないか。そのために、後味が妙にすっきりしすぎてしまうのではないだろうか。
ストーリー・テラーとしての筋立てはおもしろいのだから、そういう意味ではドラマや映画の脚本としては優れている。あとは監督や脚本家が映像的な人物像の肉付けをしていけばよいのだから。たとえば高村 薫の重厚さに比べると、軽いような・・・。ま、あとは好みですからね。アメリカンかエスプレッソか。
一つ、大きな疑問を持ったのは、お話の時代設定は「阪神大震災」が起きた1995年なのだが、その年に、ここに書かれているほど「携帯電話」が普及していたのか?ということである。警察官は持っていたのかな。震災前に携帯電話を持っていた人は、私の周囲ではまだ数人しかいなかった。だから「携帯電話」を指して「携帯(ケータイ)」と略して呼ぶこともまだなかったような気がするのだが・・・そのあたりは、どうなのだろう?
P51,P222あたりに「携帯電話」が出てくる。「神は細部に宿る」と言うので、できたらそのあたりも、詰めておいて欲しい。(もし「当時既に、よく使われていた」ということならば良いのだが。)
頼みます。 |
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