外来語をどのように表記するかを考える上で、目から入った外来語は書き言葉なので標準語、耳から入った外来語は方言など地元の言葉という分け方を考えつきました。その時に目から入った言葉・・・「国語」・・・「国家とその言語」という関係について考えてみたいと思って、この本を本棚から引っ張り出してきました。数年前に買って読んでなかったのですね。3000円もするので、買う時には勇気が要ったのだけれど。考えて見れば、CDは1枚3000円でも気軽に買うのに、なぜ本だと「え、3000円!高い!!」となるのでしょうね?でもこの本を私が買ったのは初版から1年半。それで、もう「6刷」ということは、この手の本にしては、かなり売れているのではないでしょうか。研究者が買ったか教科書になったか。わかりませんが。
著者のイ・ヨンスクさんは、1956年韓国生まれで、一橋大学大学院の助教授。韓国生まれの方が日本語で、日本の「国語」について論じているというのは、すごいことです。当然、韓国が併合されてから35年にわたって行われた皇民化政策とその中での言語政策に関心を持たれて研究されたのでしょう。
読んでみたら、さすがに論文なので難しかった・・・。明治初期の「国語問題」については、以前何冊かの本で読んだことがあったのですが。この本では、山田忠雄と上田万年の対立した関係について、そして何よりも第三部から第四部にかけて全14章のうちの半分以上を占めて記されている「忘れられた国語学者・保科幸一」が目新しかったです。国語学者としてよりも、役人としての言語政策の主導権を握り続けた保科の存在を明らかにしてくれています。
また「結び」に出てきた「国語の脆弱さ、貧困さに絶望した」人として挙げられた、
「北一輝」には驚きました。この人の名前がこんなところに出てくるとは。ファシストの聖典としてみなされた彼の著『国家改造案原理大綱』の中で、北は、
「英語ヲ廃シテ国際語(エスペラント)ヲ課シ第二国語トス」
と書いているというのです。しかもこの第二国語の「国際語」は、五十年後には現在の国語(日本語)を押しのけて第一国語として使用されることを望んでいるというのだから、驚きますよね。
そもそも現在も、日本の公用語が日本語である・・・なんてことは、どこにも定められていません。しかしそれは「当然のこと」として認識されています。故・小渕首相が「英語第二公用語論」をブチあげた時に「第一公用語がないのに第二があってたまるか」という声も聞こえた野を思い出しました。
日本語の標準は、保科の時代も現代もしっかり定まっていないのだと感じたのでした。 |
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