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『デモクラシーの論理』
(阿部斉、中公新書:1973、11、15)
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新聞の訃報欄に必ず目が行くようになったのは、30歳を過ぎた頃からだから、もう10年以上になる。9月14日、その訃報欄で目にした「阿部斉」という名前は、学生時代に購入してその背表紙を眺めつつも読むことのなかった『デモクラシーの論理』という本の著者として、私の脳裏に刻まれていた。ということで、20数年ぶりに本棚からその本を取り出してきて読んでみたのだった。
昭和48年(1973年)初版・280円のこの本を、大学一年当時(1980年)、古本屋さんで、150円で買っていた。本を開くと、古い本の香りがプーンと漂う。うーん、秋だねえ、読書の秋。
今読んでも「難しいな」と感じる部分も多く、いかにも教科書的な表記なのだが、さすがに20数年前よりは私の理解力も高まっていると思うので、読み進むことができた。
興味深かったのは全体主義とデモクラシーの位置づけ。実は、「全体主義」も「民主主義」であるが「リベラル・デモクラシー」のみが「全体主義」と両立しない、という記述である。昨今アメリカでは「リベラル」という言葉は忌み嫌われているやに聞く。またその一方で、民主主義・デモクラシーは何よりも重要視され「錦の御旗」化しているように思われる。しかし、その「民主主義」の中に「全体主義」も含まれるということは、「民主主義」のつもりで突き進んでいると、知らず知らずの間に「全体主義」に陥っている場合もありうるということなのではないか。なんとなく、心当たりのあるところではある。たとえば、標準化・効率化というのも、突き詰めていくと、全体主義にたどり着く可能性があるのでは?
阿部斉先生、享年71。この本を書かれた1973年当時は、今の私よりも若い、40歳になったばかり。そんなことにも思いを馳せて読んだ。合掌。
(おまけ)
それにしても、日本には「デモクラシー」は定着していない。ワープロで「でもくらしー」を変換したら、「でも暮らしー」になったよー。

★★★
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