沢木耕太郎の「杯(カップ)」(=読書日記106)を読んだ勢いで、家にあるまだ読んでいなかった沢木の本に手を伸ばした。今年はオリンピック・イヤーでもあったし、この本でも・・・と思って、『オリンピア』を読んだ。もう6年も前に出た本なのだけれど。
ベルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」「美の祭典」の女性監督、レニ・リーフェンシュタインに沢木がインタビューしに行ったところからこの本は始まる。そのレニの話は序章、一章と続く。そのあとの真ん中は、ドキュメンタリーである。沢木が取材したベルリン・オリンピックに出場した選手のインタビューを基に記されている。そして終章で、またレニが登場する。このレニのインタビュー場面が一番おもしろい。
『杯』で私は沢木の文章に『深夜特急』で昔感じたドキドキ感が失われているように思ったのだが、6年前に書かれたこの『オリンピア』では、『杯』で感じた「何か違うな・・・」という感じはなかった。その”違い”の原因は、この本は「ドキュメンタリー」であって「エッセイ」ではないからではないか。沢木は「エッセイ」と「ドキュメント」「翻訳」と執筆活動の幅が広い。その中で、「エッセイ」よりも「ドキュメント」の『オリンピア』の方が、出来が良いように思った。(もっとも『深夜特急』は今、『ミッドナイト・エクスプレス』と衣替えして一冊にまとめられて書店に並んでいるが、あれも基本的には「エッセイ」だったのだが。)
真ん中の資料中心の「ドキュメント」部分より、序章と終章のレニが出てくるインタビュー中心の「ドキュメント」頃の方が、生き生きしているように感じた。もう一度レンタルビデオで借りてきて「民族の祭典」「美の祭典」を見てみたいと思った。
ところで、ベルリン・オリンピックというと思い出すのは、小学生の頃に見つけた、田舎の土蔵の扉の裏に張ってあった、昭和11(1936)年のベルリン・オリンピック、1万メートルで入賞した村杜(むらこそ)講平選手の記事。見つけたのは今から30年ぐらい前のことだが、その時点でも、ベルリン・オリンピックからは40年近く経っていた。子供心に宝物を発見したようにドキドキしたのを覚えている。たしか「5位入賞」だったと思うのだが、今、ネットで検索すると、「4位入賞」と出ていた。記憶違いだろうか。この『オリンピア』でも、村杜についての記述があり、最後の1週でフィンランドの3選手に抜かれた村杜は「4位だった」と書かれていた。あの蔵には、随分長いこと入っていないが、まだあの新聞は張られているのだろうか。 |
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