著者の石黒マリーローズさんは、関西在住のレバノン人で、夫は日本人。10年ほど前に『キリスト教文化の常識』という著書を読んで、話を聞きたいと思った私は一度取材に行ったことがある。その時に、
「あれだけ流暢な日本語の文章の本を何冊も出してらっしゃるのに、しゃべりの方は、どうも(日本語が)まだまだだな。」
と感じた。それ以来、何度かファックスで「今度こんなことがあるので取材してくれ」というような情報を寄せてくれる。しかし・・・。そのファックスはいつも手書きの英語の文章なのだ。しかも、とてもクセのある字で、なんと書いてあるのかよくわからないことが多かった。それに対して、いつも苦労して英語の返事を書いていたのだが、なぜいつも手紙が英語なのか?とても不思議に思っていた。
そして何度目かのファックスの時に、ついに頭に来て、
「なぜあなたはいつも英語で、しかも読めないような崩した字体で手紙を送ってくるんですか?あれだけの日本語の本を書けるのに、それは失礼ではないですか?これからは日本語で書いてください!」
と日本語で書いたファックスを送ったところ、それ以来ピタリとファックスは来なくなった。
で、今回の本。ちょっと専門的過ぎるかな、という部分もあるが、キリスト教のみならずユダヤ教のしきたりなどについても新しい知識を教えてくれる。なかなかよい本だと思う。で、あとがきを読んでいると、こんな一文が。
「私の場合、自分の考えを筆にし、これをみなさんにお伝えすることができたのは、目瀬稔氏の翻訳という貴重なご協力があったおかげです。」
なにー!やっぱり本人の日本語じゃなかったのか!それならキッチリ翻訳者の名前を記すべきではないのか!?そう思って、前著『キリスト教文化の常識』『キリスト教英語の常識』を見直してみたものの、私が見た限りどこにも翻訳者の名前はなかった・・・。
「−文化」は縦書き、「−英語」は横書き、そして今回の「聖書でわかるー」も横書きになっているが、日本文化を考えてひとこと言うと、横書きでも日本語の文章の句点は「。」であって、「.」ではない。読点も「、」であって「,」ではない。
(追記)
翻訳に関して興味深いものを見つけた。宇多田ヒカルのアメリカ進出版アルバム「Utada/EXODUS」のライナーノーツ。宇多田による曲の歌詞は、すべて英語なのだが、ライナーノーツには英語の歌詞は書かれておらず、新谷洋子という翻訳家による日本語による歌詞の意訳が載っているのである。(アメリカ版の日本先行発売なのだが、このライナーノーツは日本人向け。おそらくアメリカ版には付いていない。いらないもんな、日本語で書かれていても判らないだろうし。そもそもこのアルバム、販売のメインは、やはり日本向けなのではないか?発売から1週間ほどで既に50万枚以上売れたらしいし。)
そしてその後ろには、Utadaと新谷洋子の対談がなんと7ページにわたって掲載されている。そもそもバイリンガルの宇多田光にとって、自分で書いた英語の歌詞の日本語訳を、なぜ他人に頼まなければならないのか?といったことや、英語のニュアンスと日本語のニュアンスの違い、日本語で書く歌詞と英語で書く歌詞の違いなどについて語っているが、これがなかなか実践的な「日本語論・英語論」として貴重な意見のように思える。そもそもアルバムのタイトルも、聖書にある「EXODUS」(出エジプト記、出国、出発)から取っていることだし、この機会に(どの機会だ!?)石黒マリーローズさんもアルバムを聞いてライナーノーツを読んでみてはどうかと思う。 |
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