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『産経抄・それから三年2001〜2003』
(石井英夫、文藝春秋:20004、8、10)
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読書日記81で書いた『産経抄』は2000年までのものをまとめたもの。今回はその続編、ということで、「それから三年2001〜2003」というサブタイトルが付いています。
前回の読書日記で「どうも最近の『産経抄』は様子がおかしい。時々極端におかしなことを書いている。大丈夫か?」てなことを書いたのですが、石井さんは今回の「まえがき、のようなもの」の中で、作曲家の船村徹さんの言葉を引いて、こう書いていました。
『船村さんは、こう感想を寄せられたのである。「産経抄は歯に衣着せぬというか、表現がストレートで、多少”毒”がある。コラムには筆者のキャラクターが出てこないとおもしろくない。毒にも薬にもならぬコラムなんて・・・」これには参ったが(中略)『一つまみの毒』といえば、小欄で最近のイラク戦争における大義あるいは正義の無用論を書いたのもそれだろう。読者の反発や批判を百も承知であえて書いた。戦争には大義なんぞもともと存在しないのだ、と。』
なんだ、やっぱり”確信犯”じゃないか!
「戦争には大義なんぞ、そもそも存在しない」というのは、”正論”である。問題はそのあとなのである。普通は「だから戦争なんぞ、するものではない」となるのであるが、「産経抄」は、すでに戦争を始めたあとでそんなことを言い出したのである。戦争前に言ってるのであれば納得するが、この言葉は戦争が一応終結して、その後もくすぶっている今年1月に出た言葉なのである。それは卑怯ではないか?もし「毒がある」というのを「ほめられている」としか感じていないのであれば、その毒が身体に回ってしまう危険にも気づかないのではないか、と危惧するものである。

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