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『ことばとは何か〜言語学という冒険』
(田中克彦、ちくま新書:2004,4,10)
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むずかしかったっす・・・。覚悟はしていましたが、むずかしかったっす。田中克彦先生の本は言語の本というより哲学の本みたいで、むずかしかったっす。でも、ためになる部分もたくさんあるのです。『ことばと国家』とか『差別語から入る言語学入門』とか。『ことばと国家』に出てきた話で、ドーデの「最後の授業」というおなじみ(私にとっては)の作品の感動的なシーンが、実はまったくの見当違いで、当時の言語状況、政治的・国際的状況から判断して、またこの作品がフランスの愛国心を鼓舞するために書かれた背景などを明らかにすることで、巷での評価とはまったく違う「最後の授業」像を提示されたのを以前読んで、まさに眼からウロコが落ちた気がしたものでした。
そういう風にフムフムと思いながら読み進めるものもありますが、なかなか手が付かない本も多いんです。どっちかと言うとこの本は後者ですかねえ・・・。
そのなかでホホウと思ったフレーズは、
「規範を示さないのは、言語学が自然科学の精神につらぬかれているからだ。言語学は、存在するものには、すべて理由があるというたちばをとる。正しいか正しくないかは、そのことばの本質から出てくるのではなくて、外から人間が勝手に判断するからである。」(24ページ)
というもの。そして必ず変化するという「ことば」の変化の要因について、イェスペルセンという学者が、ブレスドルフという学者の論文に沿って言語の変化の原因について述べたものをまとめています。それによると、
(1)聞き取りちがいとそれによる間違った解釈。
(2)おぼえまちがい。
(3)発音器官の未発達な子どもが発音することで起きる間違った発音を、かわいいと思ってまねしているうちに、それが主流になる。
(4)怠惰のせい。
(5)類推のはたらき。
(6)よりはっきりした発音にとりかえる。
(7)新しい概念の誕生に伴い、それを表現する新しい言い方を採る。
(8)(7)までの概念には入らない、その他さまざまな変化。たとえば外国語の影響。
ということで、「人間には自由があるからことばは変わる」とも書いています。
これを読むと、「間違った言葉づかい」「正しい日本語」といった考え方の方が間違っているのではないかと感じること、間違いなし。
でも、むずかしい・・・・。

★★
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