去年の秋にこの本が出た時にすぐに購入して「積ンドク」になっていたもの。
私は唱歌に愛着を持つギリギリ最後の世代ではないかと思うが、この本のサブタイトル「讃美歌と近代化の間で」に惹かれた。
「唱歌」というと、明治以降の日本独自の歌と思いがちだが、実はその中にはキリスト教の讃美歌のメロディに日本語の歌詞をつけたものも少なくない。ここでは「むすんでひらいて」「蛍の光」「蝶々」「数え歌」「海ゆかば」「君が代」「さくらさくら」「法の御山」「一月一日」「故郷」「ま白き富士の根」「シャボン玉」の12曲が取り上げられている。
この中で、驚いたのは「故郷」と讃美歌「アメリカ」との類似である。「故郷」のゆったりとした三拍子六四調のリズムは「アメリカ」のそれを受け継いだものだ、と著者・安田寛は書いている。また、「ドー(ドミソ)・シー(シレソ)・ドー(ドミソ)」いう、「起立!礼!着席」を表す単純な音階の繰り返しに秘められた「国民身体改造計画」とは・・・なーんて記されていると、「うーん、読んでみたい!!」となりませんか?
明治期、それまでの日本古来の音楽ではない、西洋音楽を導入するにあたっていろいろな障害があったことは、想像に難くない。そんな中「和魂洋才」によって、「メロディは洋風、歌詞は日本語」という形で民衆の中に浸透させられていった「唱歌」。しかし現在、その「命」が尽きた(?)のは、「和魂」が消えたことによるのではないか。実は、「形式・様式」を「洋風」に真似ていくうちに、「魂」までが「洋風」になっていったのではないか。「和魂洋才」が「洋魂洋才」になってしまったのではないか?そんなことにも思いをはせながら、消えていった「唱歌」の生い立ちに触れることが出来る一冊である。
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