ヘッダー Space
『「豆朝日新聞」始末』
(山本夏彦・文藝春秋、1992,3,1)
トップページ
過去掲載分
ヘッダー

Space
昔は山本夏彦の文章はキライでした。独りよがりでわかる人にしかわからない。こんな不親切な文章が読めるか!!と思っていたのですが、文春新書で若手女性社員を相手にいろんなことを語るのを読んでから「面白いな」と思って読み出しました。
そうこうしているうちに一昨年の11月にお亡くなりになって、もともと自分のことを「ダメの人」「死んだ人」と称していたとはいえ、本当に死んでしまうと、それもシャレになりません。
それでこの『「豆朝日新聞」始末』というのは、以前、地下鉄の駅に1年限定で週1回、山本夏彦さんがエッセイを書いたものを無料で置いた、それを「豆朝日新聞」と称していたということで、なぜそんなことをしたかという経緯(いきさつ)が記されたエッセイなど60編が収録されています。図書館で借りて読みました。どれも「夏彦節」全開で、以前なら読むのをやめたところですが、山本夏彦をわかった上で読むと、「そういうことか」とニンマリできるというもの。
中でも「運動会」というエッセイの中で、「『前畑がんばれ』(1936年ベルリン・オリンピック)以来『がんばれ』という言葉が普及しだした。」という記述などは「なるほど」と思いました。ただ、2004年2月24日の読売新聞夕刊の「新日本語の現場」によると、日清日露戦争をきっかけに「頑張る」という言葉が広がったという新村出の「頑張考」を紹介しています。日清戦争(1894年)・日露戦争(1904年)から広がったとすれば「前畑がんばれ」(1936年)に「がんばれ」が使われるのはむしろ当たり前です。そのあたりを天国の山本さんに問うと、「私は言語学の専門家ではない。そんなことは言わなくてもわかって当然である」などという答えが返ってきそうです。山本夏彦のエッセイには、こういった「思い込み」による断定口調の記述が多いので、頭から信用するとえらい目にあいます。疑いながら読む位の姿勢が必要でしょう。

★★
Space

Copyright (C) YOMIURI TELECASTING CORPORATION. All rights reserved