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『アニメ村のステキな住民たち』アニ民155人目
- 2012.08.30
今週のアニ民は監督の杉井ギサブローさんです。
今回は上の文章に引き続く形でお読みください。業界の大巨匠の杉井さんにはずいぶん昔から一方的にご挨拶させていただいていて、一番記憶に残っているのが1994年「ストリートファイターIIV 」です。今では意外かもしれませんが、杉井さんに監督をしてもらってます。月曜日夜7時からの1時間をストIIと「魔法騎士レイアース」で放送していた時のPRも含めたコンビネーションを図る打ち合わせ時に、色合いが違う2作品のパブリシティ調整に前向きに意見をいただいたものでした。
日本のTVシリーズアニメの草分け「鉄腕アトム」を無我夢中で作っていたという杉井監督のTVシリーズと言えば「まんが日本昔ばなし」や「タッチ」がまず浮かびますが、ルパン三世の初期企画に関わっていたことも有名です。1971年にYTVで放送することになるわけですが、僕にも関わりが深いルパンのスタートを、おそらく当時のYTVの先輩方とも一緒に活動していたと思うと何だか思い切り感慨深いです。
第14回広島国際アニメーションフェスティバルでは現在全国公開中の映画「グスコーブドリの伝記」映画上映があり、杉井監督も登壇されました。上映終了後には別会場で監督とのQ&Aが行われ、ほぼ満席のお客さんとの質疑応答はかなり興味深いものでした。宮沢賢治の最晩年に作られたこの原作は超有名ですが、実際には3つのブドリ原作があるそうです。そして以前から興味を持ってたその童話に対し杉井監督が考え方をすごく出せた映画だということです。
杉井監督いわく「この作品は第二次世界大戦時にお国のために自己犠牲を奨励するように利用されたこともよくわかっていて、それをなぜこの時代にアニメ映画にしたか。僕の解釈としては、賢治の言う自己犠牲は、先の戦争などのそれとは異なり、例えば先の大震災の際に多くの市民が実際に行動したことに通じるもの。あと若い人たちから「ここが分かりにくかった」などの意見をよく受けますが、原作に漂う“死の世界” ではなく“どう生きるかという生の世界”を描いた、という僕の想いをまずお伝えしたいと思います。」というお話でした。
僕が面白かったのが映画の中に日本初のエレベーターがあった「浅草十二階」を登場させたお話。それは宮沢賢治の時代に確かに建っていて、賢治は実際に浅草に行っているので登っていたことだろうという想定で描いたそうです。さらに実は当初プロデューサーだった今は亡きグループタック・田代さん[72]たっての希望もあったというお話も。急に先日三回忌供養をした友人恩人の名前も出て、作品にまつわる人間関係も知れて嬉しかったです。というわけで僕にとっての2回観ることが出来たブドリ映画は、美しい映像もストーリー構成も一つの教科書のような作品でした。観るべき映画です。
杉井さんには「諏訪さんとは違う分野のアニメを作っているので、あまり接点がないよね」と言われてしまうのですが、僕にとってはそんなことあるはずがありません。先ほど書きました杉井さんの盟友・田代さんとはプライベートがほとんどで、ワインなどを挟んで大先輩であるその人となりにじっくり触れて、おかげさまで僕もいっぱい吸収し成長できたと思ってます。
物語を中心にした商業的目的をもって制作する「アニメ」とアート系作家制作な「アニメーション」とはっきり区別をしているという杉井さん。業界としてのアニメ産業の行く末を本気で心配し熟考している、こういう時代だからこそ若い人たちが海外に出て行って市場を開拓していくべきだ、という杉井さん。どうかこれからは田代さんに引き続き、可能な限り仕事も含めて杉井監督との接点を持たせてもらいたいです!という極めて勝手な願いを込めてこのお手紙のようなアニ民を書かせてもらいました。