• 『アニメ村のステキな住民たち』アニ民185人目
  • 『アニメ村のステキな住民たち』アニ民185人目

  • 2013.05.09

 今週のアニ民は初めてのパターン、というか自分のお仕事ルーツを見つめると必ず記憶に登場する人を取り上げさせてもらいます。まだあれは20世紀、僕と一緒にYTV東京編成部で働いていた先輩、故 水野淑(きよし)さんです。

 まず水野さんの第一印象は特別でした。全体的にでかいし肩幅がすごいというか威圧感が抜群でした。実際学生時代にアメフトをやっていたそうで、その体つきそのものがアメフトプロテクターに見えるような感じなんです。その上顔もコワモテ?なのでそのとっつきにくさは上級レベルでした。

 ところが会話はすごい論客で知識も多いしフトコロも深い。ものすごい本好きで冒険小説やミステリーも大好きで、いったん話し出すとその造形の深さや記憶の正確さに驚かされたことが何度もありました。なのに気がつけば会話や行動の端々に優しさというか柔らかさがにじみ出ていて、今で言う“アメとムチ”で僕は水野さんに踊らされていたのかもしれません。

 というわけで思いきり一緒に仕事をしたのが「シティーハンター3」や「YAWARA!」の頃でしたか。僕が制作と宣伝を一人でやっていたのを見かねたんか、まず宣伝部分から手を貸してくれました。先ほどの水野さんの印象は主に一緒に仕事をしてからより強く感じられたものです。作品の評判は良いものの野球中継などで放送がトビがちで、なかなか視聴率がのびなかった「シティー3」に対しては丁寧なプレス対策を。おかげさまで絶好調な成績を維持できた「YAWARA!」には手綱を緩めず足元を見る、1クールに一度必ず何かをトピックにもって行く宣伝展開を。とかくイージーな方向に行きやすい傾向にいちいちゲキを飛ばしてくれました。そして作品の制作内容にもアドバイスをもらい、アニメスタッフに対しての番組グッズも考えたり、かなりユニークなご指導をいただきました。バブル的な時代背景もあった当時、そのコア部分がぶれない自由な活動を支えてくれた気がします。

 人事異動によりあのWOWOW開局時期に会社出向して、結局そのスタッフたちと見事に楽しい絆を作って戻ってきましたね。実は僕は今でもその数人とお付き合い続いています。またテーマな映画を一本決めて観る、集まっての飲食はそれが条件という「映画の会」なる社内5、6人の集まりがあり、水野さんは中心人物の一人。映画批評論争始まると、先輩後輩入り乱れて映画好き嫌い分かれて喧々諤々、結局なんだかんだと水野さんに軍配あがるコトが多かったですよね。僕の参加する以前、テーマ映画が「八甲田山」だった時は歌舞伎町をそのメンバーで“雪の進軍”したんですって?うーん、想像したくない。で、そのメンバー中心に水野さんに対する関係者・友人たちのメッセージを集めた本「大きな男がいました」は原稿お手伝いもさせてもらって強烈に覚えています。

 そういえば水野さんは二度、代々木と三鷹の病院に入院したことがありました。お見舞いに行くと自分のことよりまず先に「すわっ!、調子はどうだ?またヘンなミスしてるんじゃないだろうな」うーん今思えば後輩を気遣う、というより本人の入院ストレス解消会話だったような…。

 あれは2000年GWある朝のことでした。僕の自宅に一本の電話が、それが水野さんの急を知らせるものでした。ご自宅に急行した僕が目にしたのは、まだ自宅の布団で眠っているような水野さんでした。その前夜には僕も良く行くいつものお店Dのカウンター指定席で、いつものバーボンを飲みいつものマスターとよもやま話を…。それほど突然のことだったのです。

 その店もマスターもそのままで僕は行くといつもその席に触れたりしています。そしてその時は小学校1年生になったばかりだったお嬢さん(先述の本のタイトルはこの子のコトバ)も今はステキな大学生。コナンのミステリーにも意見をくれてた水野さん、お嬢さんは今もすごいコナンファンですって。あれから13年、確実に時間は移ろっていってますが家族も会社もみんな健在!これからも家族をそして僕たちを見つめていてくださいね。