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『アニメ村のステキな住民たち』アニ民5人目
- 2009.09.10
今週の住民は手塚プロダクション社長・松谷孝征さんです。
僕はもともとマンガ好き。描くのはダメですが読むのはかなりおたく入ってます。そうなった原因のトップは手塚治虫さんの存在であります。お小遣い範囲でのマンガコレクションのために自転車でどこの古本屋にも駆けつけ、大学受験の時に訪れた神保町の古本屋街には衝撃を受け(店の数と豊富な冊数)、手塚ワールドの更なる深さに(値段だったりもするので作品の面白さとちょっと意味が異なるけど)時がたつのも忘れ全軒訪問を目指したものでした。
うーん、話がずれていますが、そんな手塚治虫好きが最も出会いたかった存在が松谷さんなのです。アニメの仕事を手がけることになって、目下の仕事とは全く関係ないのにかなり優先したのが手塚プロダクションへ行くこと。本当になんの用事もありません。が、実は1985年3月放送の「11PM」に出演されたのが手塚治虫さん、僕はその番組のADだったそのツテのみでお伺いして、何人かの人を経てお付き合いをスタートしてもらいました。
1989年にはそのマンガの神様が亡くなる、という異常な不幸もありました。
その時はさぞ大変な思いをされたでしょうし、それからもこの業界のトップとして、というより日本のアニメの顔として国際的にも活躍されてこられました。「アニメだいすき!」という関西ローカルの企画でも追悼特集などでのフォローもいただいて、その頃からでしょうか、「ブラック・ジャック」のアニメ化話を長いテーマとしてお話しだしたのは(僕が一方的にですが)。でもOAVシリーズもすでに存在したし、簡単な話ではなかったのです。
あれは2002年の広島国際アニメーションフェスティバルの夜でしたよね。「来年BJは生誕30年なんだよ、それをお祝いする企画なら…」と松谷さん。お酒の席の話でもしっかりそれを間に受けて、手塚プロの久保田Pとがんばったのが2003年12月放送「ブラック・ジャックスペシャル 命に関わる4つの奇跡」。そして2年にわたるTVシリーズ、さらに映画「ブラック・ジャック 2人の黒い医師」。すべてこちらもあこがれの人、手塚眞監督との日々でした。その中でもTVシリーズ最後の半年の「ブラック・ジャック21」は、手塚ファンに対しても胸をはれる仕事だったと信じてます。
日本動画協会理事長という重責を持ち前の行動力と、そのひょうひょうとしたキャラクターで見事に務め上げられました。マイクの前での楽しい、かつダンディなカッコよさは僕の目標のひとつです。松谷さんの“手塚さん想いで話”(ムチャクチャ興味深い内容ばかりで面白い)も大好きですが、これからは松谷さん自身のお話ももっとお聞きしたいと思っています。