• 『アニメ村のステキな住民たち』アニ民50人目
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  • 2010.07.22

 今週は元日本サンライズ社長・故山浦榮二さんです。

 あっては欲しくない衝撃的なことがありました。去る7月17日に山浦さんの告別式が執り行われたのです。関係者はもちろん、親族の方々も呆然とするような突然の出来事だったそうで、葬儀の方も驚きと戸惑いそして大きな哀しみに包まれたものとなっていました。

 人生にはあの時の出会いがなかったら、今こうはなってなかったという数少ない瞬間があるものです。山浦さんとの出会いはまさしくそれでした。あれは1986年7月ごろだったでしょうか。ちょっと知り合いになっていた当時日本サンライズ・山田哲久さん(現アストロビジョン代表取締役)に連れられて、新宿歌舞伎町の風林会館向かいのSというにぎやかなお店に入った時のことでした。隣の席に山浦さんが当時プロデューサーの植田益朗さんと一緒にいらっしゃってたのです。その瞬間からのち、ずっとおつきあいすることになる植田さんも山浦さんも初めての出会いで、とにかく山田さんに紹介してもらい、僕にとってのサンライズという会社との時計が秒針を刻み始めたのです。

 「シティーハンター」はその植田さんと二人三脚で始めた作品ですが、その背後には当時の山浦社長、そしてもう一人・伊藤会長の力強いバックアップ無しにはあの成功はなかったのかもしれません。僕はその伊藤会長も先日鬼籍に入られてたことを知ったばかりでした。

 僕の記憶の中では大きなおなかを揺すりながら、豪快に笑う山浦さんがいます。その明るい笑顔に何度救われたのかわかりません。何度一緒にビールを飲んだことでしょう、そして何度励まされたことでしょう。そんな山浦さんが現サンライズ経営者の吉井会長・内田社長に会社を譲られてからは僕もとんとお会いしなくなっていました。

 冒頭あえて書かせてもらった旧社名「日本サンライズ」。山浦さんの長年の友人・岩崎正美さんが読まれた弔辞には、虫プロ時代の想い出、サンライズの創始者、ガンダム企画の立役者、など数々の事実が悲しみの中で述べられ、まさにその社名と共に山浦さんが今あるアニメ業界の大功労者であることを強制的に再確認させられてしまいました。

 告別式の日は梅雨も明け、この夏最高の気温を記録するうだるような好天のもと、でも会場の府中の森はそよかな風が通り抜け、緑の木々も普段と同じような顔をしてるかのようでした。もしかしたら山浦さんはもう伊藤さんとも天国でお会いしているのでしょうか。心よりご冥福をお祈りいたします。本当にありがとうございました。これからはアニメーションの風にも乗ってサンライズスタッフたちの、そして僕たちアニメ関係者の背中を押してやってくださいね。