今回のお届け先はドイツのニッテル。この地に工房を構え、トランペット製作者として活躍する加藤朋海さん(41)と、千葉県に住む父・隆雄さん(68)、母・享子さん(71)をつなぐ。高校卒業と同時に日本を飛び出した朋海さん。進学校だっただけに両親は「それなりの大学に行ってくれるだろうと期待していたが、ドイツへ行くと言って1人ですべて準備して…不安でしたが送り出しました」と、複雑だった当時の気持ちを振り返る。
トランペット製作を学ぶため19才で単身ドイツに渡った朋海さんは、職人の資格を取得。ヨーロッパ各地の工房で修業を積み、今では自身のオリジナルブランドのオーナー兼製作者として世界に名を馳せるまでになった。そのトランペットは世界のトップアーティストに愛用され、オバマ大統領就任パーティーで演奏されたのも彼の作品だった。
朋海さんはトランペットの設計から組み立てまでをすべてこなす。およそ100あるパーツは専門の職人に依頼するが、一番こだわって必ず自らの手で作るのが、音色を決定づける「リードパイプ」。真鍮の管をバーナーであぶって柔らかくし、それを大きさの違う穴型に順に通しながら、先端を徐々に細くして作る。ほかにもトランペットの先端にあたる"ベル"を曲げるのも朋海さんの手作業だ。いずれも1ミリの違いが音に大きく影響するという熟練の技を要する作業だ。
それらのパーツを最終的に銀ロウで接着してトランペットは完成するが、あとは演奏するアーティストと打ち合わせをしながら細かい要望を聞き入れ、修正を繰り返す。そうして満足のいく作品になるまで、長い時で5年もかかるという。そんなアーティストと共に作り上げていく姿勢が、世界に認められたのだ。
朋海さんとトランペットの出会いは高校1年のとき。管弦楽部で手にしたトランペットの虜となり、トランペット製作者になることを決意したのだ。それからはドイツ語を猛勉強。ドイツへの渡航、修業先まですべて一人で手配し、大学進学を望む両親に伝えたのは出発の直前だった。「学歴社会が嫌いで、サラリーマンにはなりたくなかった。職人になりたいという思いは16才ぐらいの時からあった」と朋海さんは当時の思いを語る。
両親の反対を押し切ってドイツに渡り、もう22年。両親には連絡することもほとんどないまま、トランペット製作の道を突き進んできたが、3年前にはポーランド人の奥様エディタさん(30)と結婚。2人の子供にも恵まれた。朋海さんは「自分が子供を持って、やっと親の心が分かった。あの頃は自分勝手だったし若かった。」と、いまだ両親には伝えられていない思いを明かす。
そんな朋海さんへ母からのお届け物は、手作りのギョーザ。朋海さんが大好きだったおふくろの味だ。さっそく自宅のキッチンで焼いて味わい、「おいしい。こっちに来てから一度もギョーザは食べたことがなかった。感動です」と懐かしい味にしみじみ。そして「これからは出来る限り親孝行して、これまでにもらったものを返していきたい」と両親への想いを語る…。