◆ことばの話2250「間仕切る」

7月の新聞用語懇談会放送分科会の席で、NHKの委員からこんな質問が出ました。
『大改造!!劇的ビフォーアフター』という番組の中で使われている言葉に、
『間仕切る』
というのがある。『間仕切り』という名詞はあるが、『間仕切る』という動詞はないと思うのだが・・・。」
これに対して、制作局の朝日放送の委員は、
「気づきませんでした。担当者に確認しておきます。もしかしたら、ナレーターの加藤みどりさんの造語かもしれませんが・・・」
と答えていました。
なるほど、普通は「着替える」という動詞から「着替え」という名詞が生まれるので、
「名詞があれば動詞もある」
と考えてしまいますが、この「間仕切る」「間仕切り」の関係を、見ていると。必ずしもそうではないのですかね、
この番組、その後(7月10日)の放送を見ていて気づいた、ほかではあまりこれまで耳にしなかった言葉には、
「狭小(きょうしょう)風呂」
「低い天井に何度も頭をぶちながら」

というのもありました。「狭小」というのは建築関係の専門用語ではありそうですね。でも「頭をぶちながら」
は、なんだかヘン。
「頭をぶつけながら」
でしょうね、普通は。なんだかんだ言いながら、来週もまた番組を見てしまいそう・・・。
2005/7/29
 


◆ことばの話2249「水菓子」

本来は「果物」のことを指す、
「水菓子」
ですが、最近は、
「水羊羹」
などのお菓子にも使われています。しかしそれは誤用・・・とされていますが、先日行った京都の「京菓子資料館」にあった、江戸時代の『御蒸菓子図案帳』という本に、
「御水菓子」
という項目があるのを見つけました。そこには、
「定家餅」「水仙粽」
といったお菓子が、イラストとともに載っていました。こういった「御水菓子」は、「果物」ではありません。とすると、江戸時代から、水羊羹のような菓子のことを「水菓子」と呼んでいたのではないでしょうか?専門用語としてかもしれませんが。少なくとも「果物」ではない和菓子のことを「水菓子」と呼ぶことはあった、ということですね。こうなると、あながち「誤用」とは言えないのではないでしょうか?
こう言うことを、ネットの掲示板「ことばについての会議室」に書き込んだところ、「佐藤さん」から書き込みをいただきました。
「水仙粽は現代でも製造・販売しているんですね。ちと高いが、本物の葛を使えば、そんなところでしょうか。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/wagashi/w-16.html
菓子研究会編『菓子の事典 上巻 和菓子篇』(昭和28、三元社)に、
「みずがし はなもち(水菓子花餅)蒸物菓子」
というのがありました。葛粉・うどん粉をよく練り、『花の形に作って、蒸して冷まし、器に水を入れて、これにつけたのち、極上の砂糖の入れてある器に、網杓子ですくって盛る』ものだそうです。水を使うから『水菓子』なのだろうと思います。
どこかのサイトで『葛(くず)』が『屑』に通じるので、代わりに『水仙』というのだ、と書かれていたように思います(場所失念)。『水仙』の『水』、すなわち、葛を使った(透明感のある?)お菓子ということもありうるか??(我ながら自信なし)基本的に、『水』と『菓子』という言葉がある時代なら、それぞれの時代で『水菓子』という言葉ができてよく、その指す意味も時代・時代で異なっていて構わないと思います。ただ、椅子取りゲームのように既に座られていると(水菓子=果物という関係が成立していると)厄介なことになります。もちろん、座が空いている(水菓子=果物という関係が多くの人に意識されなくなる)と新たな『水菓子』が認知されやすくなるのでしょう。」

これに対する私の返事です。
「ありがとうございます。京菓子資料館というのは、実は京菓子の『俵屋吉冨』と言うところの烏丸店に併設されているもので、それほど規模が大きなものではありません。1フロアだけ、3分から5分間で全部見て回れる程度の広さです。地下鉄・今出川烏丸の交差点から3分ほど北に歩いたところです。ご参考までに。」

そして、「NISHIOさん」からからは、
「NHK放送文化研究所『ことばQ&A』の『水菓子』に、http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/kotoba_qa_04020101.html 本来の意味とは別に、一部の業界では、水ようかんやくずもちなどの総称として『水菓子』ということばを使う場合があります。ただし、これはあくまで専門分野での使い方だと心得ておいたほうがよいでしょう。」
とあります。専門用語としても、いつごろから言われているのでしょうね。
老舗菓子舗『虎屋』の『とらや和菓子用語集』には、『水菓子』は見当りません。「水羊かん」の初見は1746年とのこと。
http://www.toraya-group.co.jp/siteinformation/wor_index.html
「水まんじゅう」は、明治30年前頃に生まれたものだそうです。数年前に店頭で見て初めて知りました。
http://www.ginet.or.jp/nisimino/sinctop/wagasi/2001-07/index.htm」

そしてその『ことばQ&A』の『水菓子』を書いた当のNHK放送文化研究所の塩田雄大さんからは、
「自分の書いたものを再読してみて、今回の道浦さんご発見の例は、関西ならではなのかもしれないな、とふと思いました。江戸時代にはフルーツのことを、上方では『くだもの』、江戸では『水菓子』と呼んでいたからです。関西であれば、『くだもの』と『水菓子』と『干菓子』という3語が江戸時代に共存していても、なんら不思議はありません。関東では、現代語では上記のようになっているとは言えますが、過去には『「水菓子」はフルーツを指す』という習慣が強かったものと思います。この習慣が不便だったことも手伝って、『くだもの』ということばが関東にも導入されたものと推測できます。」
というメールをいただきました。
いずれにせよ、上方では、随分古い時期(江戸時代)の和菓子を指して「水菓子」と呼んでいたことは間違いなさそうです。
2005/7/28
 


◆ことばの話2248「上り詰める」

7月12日、逮捕された道路公団の神田創造・元理事。その人となりを紹介したNHKニュースの社会部の川原武夫記者は、
「横河ブリッジの副社長にまで上り詰めました」
とリポートしていました。これを聞いてちょっと疑問に思ったのは、
「『副社長』は、『上り詰めた』と言えるのか?」
ということでした。私の感覚だと、
「『上り詰める』は『社長にまで』」
だと思うのですが。『新明解国語辞典』では、
「のぼりつめる」=上れるところまで上る。(例)階段を(頂点まで)上り詰める。
この場合の「上れるところまで」と言うのは、「その人の能力で」という限定はつかないと思うのですね。だからやはりこの場合には「社長」が、「上り詰める」にふさわしいのではないかと。一般的には「会長」よりも「社長」の方が実権を持っていますからね。例外もたくさんありますけど。『新潮現代国語辞典』では、
「のぼりつめる」=上り得る限度まで到達する。頂点まで上る。
やはりそうですよね。『岩波国語辞典』は、
「のぼりつめる」=一番上のところまでのぼる。
そうでしょう、そうでしょう。「副社長」では「のぼりつめ」ては、いないですね、一番じゃないから。「のぼって」は、いますが。
つい、使いたくなる気持ちはわかりますが、私は「副社長」には使わないように、注意することにしましょう。
2005/7/27
 
(追記)

『週刊文春』2005年08月11・18号の188ページに、
「相方(西川きよし)は国会議員にまで上りつめたが」
という記述が出てきました。上りつめた職業は、ここでは「国会議員」(参議院議員)です。
そのほかネットで調べたら(Google8月3日しらべ)、
「上りつめた」=8250件
で、その例は、
「お笑い会の頂点」「専務取締役」「トップ」「天下人」「栄光」「世界王者」「頂点」「東京でのトップ」「ハリウッドビッグスター」「横綱」「店長降格から部長」「1億円プレーヤー」「英国でもっとも偉大な自然哲学者」「最高の位」「日本人町の頭領」「宰相」「フリーターからデリバリーピザ店の店長代理」「東京のDJカルチュア会を代表する存在」「地方長官」「昇進の階段」「かなりの高み」「坂」「世界のビッグクラブ」「アジアを代表するトップスター」「金メダリスト」「石段」「大型(二輪)」「3冠王者」「業界トップ」「最高峰」「ハリウッドを代表する監督」「プリンシパルの地位」「大企業の出世階段」「世界ランク一位」「栄華の頂点」「皇帝の宝座」「ジャズ界のトップ」などなど・・・。
いやあ、いくらでもありますねえ。
中には「坂を上りつめたところに」というふうに、比喩的ではない「上りつめた」もありましたが。比喩表現は、やはり「トップ」でないと「上りつめた」感が少ないですね。でも個人個人の「上りつめた」感というものもあるのかな、と思ったのは、
「フリーターからデリバリーピザ店の店長代理」
に「上りつめた」というふうな使い方を見た時です。
「ああ、この人にとっては、その地位が『上りつめた』ところなのだな」
と、考えざるを得ないのかもしれないなと思いました。でも、一般的な使い方とは言えないと思います。
2005/8/3
 


◆ことばの話2247「企業文化・風土・体質」

6月19日・日曜日、不通となっていたJR福知山線の宝塚〜尼崎間の運転が55日ぶりに再開されました。
平日としては、翌20日(月曜日)に、初めてラッシュ・アワーでも運転されています。
その様子を伝えた20日の「ニューススクランブル」の中で、
「企業文化」
という言葉が使われました。これについてアナウンス部のI部長が、
「企業文化でいいのかな?企業風土?」
と言い出しました。
「うーん、たしかに『文化』と言うと良いイメージがありますから、JR西日本のことを言うなら『文化』ってそぐわない気がしますね。『企業風土』の方が良いのでは?」
「でも、関西学院大学の野田正彰先生は、『「風土」ではなく「文化」だ』って言ってるぞ」
「そうですか・・・」

VTRで番組を見直すと、その日「企業文化」という言葉を使っていたのは、関西大学の安部先生で、坂キャスターは「企業体質」と言っていました。
あとで坂キャスターに聞くと、たしかに野田先生は、事故から1か月の特番の時に、
「『企業風土』と言う言葉はおかしい。あれは『企業文化』と言うべきものだ」
とおっしゃっていたそうで、この番組では字幕スーパーも、
「企業文化」
という言葉を使っていました。
「風土」はその土地に根ざしたもの、「文化」は人間が生み出したもの。そういう意味で言うと、「『風土』ではなく『文化』」なのでしょうが、「文化」「人間が生み出した良いもの」であって、JR西日本の場合は「良いもの」として言われているのではない。そういう意味では、JRという企業を擬人化して、
「企業体質」
と言うのがいいのかな、とも思います。しかし、野田先生は、
「『体質』というのは、持って生まれたものなので、企業が活動する中で後天的に生み出されたものは『体質』とは呼ばない」
とおっしゃっていたそうです。
「風土、文化、体質」、一体どれが一番ピッタリとした表現なのでしょうね。それともこれ意外にピッタリの表現があるのでしょうか。皆さん、「これがピッタリ!」というご意見があれば、是非、教えてください。
2005/7/29


◆ことばの話2246「まもなくのアクセント」

先月、神戸のポートライナーに乗った時の話。
プラットホームで、待っていたら、女性の自動音声のアナウンスが流れました。
「まもなく(HLLL)電車がまいります。」
「まもなく」は、標準語アクセントだと、
「まもなく(LHLL)」
という「中高アクセント」のはずですが、神戸弁のアクセントで、
「まもなく(HLLL)」
「頭高アクセント」になっているのでしょうね。
それともう一つ、この自動音声のアナウンスを聞いて感じたのは、
「電車がまいります」
という、電車に謙譲語を使っている点です。東京だと、
「電車が到着します」
とか何とかなるんじゃないでしょうか。「まいります」とは奥ゆかしい。そして、電光掲示も、
「まもなくまいります」
でした。なんだか、いい感じ、ポートライナー。
2005/7/28
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