◆ことばの話1630「倒れられた」
長嶋監督が脳卒中(その後、脳梗塞とわかる)で入院!というビッグ・ニュースが駆け巡った3月5日の朝の「あさイチ!」の番組で、Oアナウンサーが、こんなことばを口にしました。
「あの長嶋監督が倒れられまして・・・」
んん?「倒れられた」?なんかヘンだなあ?そこでまたインターネットの掲示板「ことば会議室」に質問を書き込んでみました。
長嶋監督が脳卒中で入院されたことを受けて、アナウンサーが「長嶋監督が倒れられて・・・」と言いました。この「られる」は「尊敬の意味の敬語」で使われましたが、何かしっくり来ません・・・というより、笑えてしまう。おかしいです。
このように、行為の主体にとってマイナスの意味を持つ、行動を表す動詞に、周囲の者が「敬語」扱いすると、そぐわないことがあるようです。
例えば、「先生が落とし穴に落ちられた」とか「先輩がクスリでラリられた」などは明らかにおかしい。「何者かにカッターナイフで切られられた」
特に「られた」が付く場合にその前の動詞がラ行だとヘンな感じ。
「倒れた」「落ちた」などの動詞を敬語で使う場合はどう表現すればいいのでしょうか?「お倒れになった」?「お落ちになった」?「お切られになった」でいいのでしょうか???
それについて、Yeemarさんから、菊地康人『敬語』(講談社学術文庫)をもとに書き込みをしていただきました。それによると菊地氏は、「レル敬語は、作り方が簡単な上、人間を主語として使うほとんどすべての動詞について機械的に作ることができ、この点で制約がほとんどない(p.144)」と述べる一方、意味的によくない内容の語は、「お/ご〜になる」の形がなじまない場合が多いとして「はげる・ぼける・(会社が)つぶれる〔これは「会社」が主語だから当然か〕・倒産する・失敗する・混乱する・誤解する・(政治家が)落選する・(学生が)留年する」などは「おはげになる……」などと言えないが、これをレル敬語にすれば「はげてしまわれた・ぼけてしまわれた・倒産された・失敗された」のように、皮肉ではなく可能だということを示しているそうです。ゆえに、私が挙げた「倒れられた」「穴に落ちられた」は、菊地氏的にはOKとのこと。菊地氏説では「お〜なる」のほうが「〜れる」よりも制約が多いのですから、かりに「お倒れになった」が可能であれば「倒れられた」は、なおさら可能ということになるそうです。
そしてYeemarさんの感覚でも「『倒れられた』に違和感は覚えない」そうです。そうなのかあ・・・。その上でなぜ私が違和感を持ったかも分析してくれて、「倒れる」のように「れる」で終わる動詞にさらに「られる」が付くところから来るのではないか?と記してくれました。さらにもう一度、菊地氏の著書を引き、
俗語的な語や、意味的によくない内容の語については、レル敬語が(多少)作りにくいものがある(たとえば、「こける・バテる・くすねる・グレる・居座る・のさばる」などは「こけられる・バテられる……・のさばられる」とはやや言いにくい)
と、私の違和感を感じる「ラリられた」はこれに該当するでしょうと述べています。そして、
「切られられた」のように「受身のレル」に「尊敬の(ラ)レル」がつく場合、重言のようで嫌われるのでしょう。「お切られになった」も、「〜になる」というのが自然発生的な意味をもつことから、「切られる」の「れる」と意味が重なるわけで、私としては違和感を持ちます。こういう場合、私ならば、とっさの場合には「切られてしまわれた」のように「てしまう」で中継ぎするか、長くなってよければ「何者かにカッターナイフで切られるという被害にお遭いになった」と続けます。
とも書いてくれました。ありがとうございました。
その後、新聞協会放送用語分科会が4月に出す予定の『放送の中の敬語』の最終ゲラチェックをしていたら、「日常会話編」にこんな例が出ているのに気付きました。
取引先の部長さんを訪ねてきた若い女性会社員が、部長さんが会議で席をはずせないので会議が終わるまで待っている時の言葉として、
「部長のお話が長引かれているようですので、もうしばらく待っています。」
という例がイラストつきで載っています。しかしこの下線部分は「間違い」で、次の下線部分のように言うべきだと書いてあります。
「部長のお話が長引いているようですので、」
理由について「解説」を読むと
「敬語を使う場合、対象は何かを考えなくてはならない。特に相手にかかわる事項だから尊敬語で話さなければと、単純に動詞を尊敬表現にすると変な表現になる(例:「お住まいが大きく傾かれていますね」「御社の文書がまだ着かれておりませんが」など)。」
と記されています。この例に挙げられているものなど、「倒れられた」とよく似ているように思うのですけどね。でも、間違いとまでは言えないようですね。
「ラ行」が続くことに、若干の違和感があるということで、今回はとりあえず、おしまいです。
2004/3/7
◆ことばの話1629「ランドセルの生産」
兵庫県御津町の、家内制手工業のようにみえる小さな町工場(まちこうば)風の工場で、一つ一つ手作りのランドセルを作っているところが、ニュースで紹介されていました(2月18日)。ランドセル作りがピークを迎えて大忙し、という内容でした。その原稿の中に、
「春の入学シーズンを前に兵庫県御津町の工場では今、ランドセルの生産がピークを迎えています。」
という一文があったのを耳ざとくチェックしたSアナウンサーが質問してきました。
「道浦さん、ランドセルは『生産』でいいんですか?」
ん?そうか、たしかに、なんかランドセルに「生産」は、似つかわしくないような・・・。
そこで「生産」と「製造」について考えてみました。そういう場合には「製造」で、どういうケースには「生産」なのか?
思うに、農産物は「生産」ですね、「生産農家」。あと、自動車なども「生産」でいいかな、「生産台数日本一」とか言いますね。ということは、
「一次産品」と「大規模工業製品」は「生産」。もっと小さな工業製品は「製造」ではないでしょうか。
つまり、工業製品の場合に「生産」か「製造」かというのは、その製造規模に関わってくるのではないかということです。
このランドセルの場合、映像を見る限り、「製造」のような気がしたんですが、よくニュースの内容を聞くと、なんとこのランドセルメーカーは、3つの工場で年間45万個ものランドセルを作るトップメーカーとのこと!いまどきの小学1年生は、100万人そこそこでしょうから、市場占有率、スゴイですね、このメーカーは。それなら「生産」かなあ。でも「ランドセル」というものが「生産」と何か結びつかないような気が、なぜかするんですけどねえ・・・。
皆さんはどうでしょうか?
いずれにせよ、
「真新しいランドセルが、ピカピカの一年生の背中で揺れる春は、もうすぐです。」
2004/3/5
◆ことばの話1628「アリ王」
アナウンス部の仲間と5人で昼食に行ったときの話。なぜか文学の話になって(格調高い!!)、本のタイトルを挙げて作者をあてる、という話の流れになりました。
「外国文学って、なかなか名前が出ないんだよねえ。」
などと言いながら、Oアナウンサーが、
「『走れメロス』でメロスが助けようとした友人の名前は?」
というクエッションを出したところ、みんな、
「えー?だれだっけ???」
状態になってしまい、降参したところ、当のOアナウンサーも
「実はボクも覚えてないんですよね。」
と壊滅状態。(正解はあとで調べました。セリヌンティウス。これは覚えられん!)
「じゃあ、『ベニスの商人』とは、誰のことをいうでしょうか?」
「えーっと、心臓の肉を1ポンド取るといっていたシャイロックでは?」
「ちーがいました。それは金貸しでしょ。ベニスの商人は、アンントーニオ。」
「あ、そうか、なんとなくイメージはシャイロックでしたが・・・」
「じゃあ、簡単なところで、『ベニスの商人』の作者は?」
「えええっと、あの、ホラ、文豪ですよね。」
「誰でしたっけ?」
「え?出ない?出ないはずがないでしょ。ホラ、あの・・・!」
「シェークスピア!」
「正解!ようやく出た。じゃあ、シェイクスピアのほかの作品を挙げよ。」
ここでAアナウンサーにふると、
「えーと、あれですよね・・・アリ王!」
一堂、唖然。
「・・・それ、逆よ、逆。」
「あ、そうでした逆でした、リア王」
間違いやすいよね、リア王って・・・・なんてわけ、ないじゃないか!日経新聞の人も怒るよ!今、挿絵がないけど。一体どういうふうに頭の中の回線がつながっているのか。たぶんプラスとマイナスが逆につながっているところもあるのではないでしょうか・・・。シクシク。
昼食が終わって会社に帰ってから、私は、王冠をかぶった「アリ王」のイラストを彼女にプレゼントしたのでした・・・。
(追記)
彼女は「道浦さんに書かれる前に、自分で書きます」と言って、自分のホームページにこの話を書いていました。
2004/3/7
◆ことばの話1627「絶対に負けられない戦い」
サッカーの日本代表、今年のアテネオリンピック出場を目指す23歳以下の選手で構成されている「オリンピック代表チーム」と、2006年のドイツ・ワールドカップを目指す、「A代表チーム」が2月に入ってから親善試合や本番の試合を戦い、なんか、週に何回もサッカーの国際試合を見ている気がします。
その中で、某民放局がキャッチフレーズとして使っていた、
「絶対に負けられない戦い」
というのは、ちょっと耳について気になっていました。試合の中でも連呼されていたのですが、予選の本番ならともかく、それに向けての「強化試合」、つまり練習試合ならば「絶対に負けられな」くもないと思うのですが。
そんな私の考えと同じようなことを感じている人がいたので、安心しました。
2月26日の朝日新聞文化欄「ゼロヨン時評」で、作家の赤瀬川隼さんが「実況中継に芝居は不要」と題して書いています。(あれ?この新聞系列のテレビ局が「絶対に負けられない戦い」の放送をやっていたと思うのだけれど。)
「あるテレビの新聞広告や実況中継で繰り返された決まり文句は『絶対に負けられない戦いがそこにはある。』たとえば試合前のロッカールームで監督なりコーチが選手たちに檄を飛ばすのならともかく、ゲームを楽しもうとする一般の視聴者に向かって、キャスターが芝居のせりふのような口調で繰り返しそう言うのである。親善試合からこれではかなわんなと思う。(中略)まだその序の口というのに、早くもテレビの話法が硬直化している。先が思いやられる。」
そう!そのとおり!
ただ、赤瀬川さんは、最後にこうつぶやいています。
「こんなことをぶつぶつ言っている男はとうに時代遅れかもしれないが。」
そんなことないですよ。
実はね、赤瀬川さん、「絶対に負けられない戦い」というのは、オリンピックの予選のことじゃあないんですよ・・・・そう、お気づきですね。テレビ局にとってその戦いとは、
「視聴率競争」
・・だったりするのですね、これが。そのためには試合に勝ってもらわないと盛り上がらないと。そういうことじゃあないかなと思っているのですよ。
2004/3/7
(追記)
3月31日、ワールドカップアジア1次予選の対シンガポール戦。前半、猛攻を仕掛けながら、高原の1点のみ。後半、よもやのゴールを決められて同点。ここで、中継していたテレビ朝日の田畑アナウンサーが発した言葉が、
「『絶対に負けられない戦い』。まさかこんなところで、このフレーズが真実味を帯びてくるとは思いませんでした。」
これは本音でしょう。ということは何かい?これまでは「負けるはずはない」と思いながら、視聴者を煽るために「絶対に負けられない戦い」というふうに危機感をあおっていたということですか?バレちゃいました・・・・。3月31日、まだエイプリルフールじゃあないのに。
2004/4/1
◆ことばの話1626「アバター」
2月12日の産経新聞に、
「アバター人気」
という見出しが。「アバター」って何?と思ったので記事を読んでみると、
「インターネットやメールに、利用者の"分身"として登場するイラストのキャラクター」
を「アバター」と呼ぶそうで、髪形や服装も変えられて、利用が広がっているそうです。
これだけでは、なんだかわからないですよね。
インターネットオークションなどに参加する場合や掲示板に書き込む場合に、自己紹介欄に表示したり、スタンプ感覚で貼り付けたりするそうです。新聞には写真も載っていましたが、もう一つ、ピンと来ません。
この記事の最後には、
「アバターの交流をきっかけに結婚した例もあるという。」
と締めくくられているのですが、これでは、アバター同士がネット上で「バーチャル結婚」したのか、それともアバターの使い手(持ち主)同士が、本当に結婚したのかも、なんかよくわかりません。多分後者だと思いますが。まあ、アバターがきかっけですから、お互いに、
「アバターもえくぼ」
ということで。え?これが言いたかっただけじゃないかって?・・・大当たり!!
2004/3/7
(追記)
長崎県佐世保市で6月2日に起きた同級生殺害事件を受けて、子どもを取り巻くインターネット環境に注目が集まりました。その一連の流れの中で、6月18日の毎日新聞が「最新子供ネット事情」を特集しました。見出しは、
「秘密基地いくつも」「たまり場系増加」「親の目にも限界」
と、子供のネットの使用状況を、親が把握しにくい現状を報告しています。その中で、
「佐世保事件の加害女児が自分のHPで使っていたアバター」
というのが写真入りで紹介されていました。顔は、ハロウインのかぼちゃのお化けのようなアバターです。「子供たちがネット上で使っている独特の言語やキャラクター」の解説を見ると、
「アバター」=サンスクリット語で「化身」の意味。ネット上で服装や顔を着せ替えられるキャラクターを指す。仮想の分身で別の自分を演じるときに使われる。
と書いてあります。このほか「同盟」(=趣味サイトの主宰者が連帯感を協調するため同系のサイトに合流すること。「ウェブリング」も同じで、サイト同士のサークルを指す。「同盟とかしてます」などと使う。)「荒らし」(=掲示板上で他人の発言をしつこく攻撃したり意味不明の文章を書き込む行為。悪口やののしり合いになることが多い。)の解説もありました。
2004/6/25
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