◆ことばの話1585「新しい旅立ち」

夕方のニュースで、一足早い卒業式の話題を、1月の下旬に放送していました。その最後にキャスターが、
「新しい旅立ちですね」
と言ったのを聞いて違和感を覚えました。普通こういう場合には、
「新たなる旅立ち」
というのではないでしょうか。「新たなる」は形容動詞の文語ですね。現代口語の形容動詞なら「新たな」(終止形「新ただ」)。「新しい」は形容詞です。
「旅立ち」という言葉の形容に形容詞の「新しい」は間違いではないけれども、そぐわない感じがしますね。なんで「新しい」はダメなんでしょうか?
おそらく「旅立ち」という名詞は、動詞的意味合いが強く、形容詞は受け入れずに形容動詞、しかも文語なら折り合いがつくということなのではないでしょうか。
ところで、口語よりも文語の方が合いそうな形容表現って、ほかにもあるでしょうか?思いつくところを挙げてみると、
「選ばれた者」と「選ばれし者」もニュアンス違う。
「過ぎ去った街角」と「過ぎ去りし街角」も違う。
「悲しき口笛」と「悲しい口笛」も、微妙に違うかな。
「輝かしき未来」と「輝かしい未来」はどうか?ちょっとやはり違う。

いったい、文語と口語のニュアンスの違いはなんなんでしょうか?
文語の方が、「『重み』と『テンポ』」という、相反するような要素を強く持っているような気がします。それはやはり、言葉が過ごしてきた歴史の長さの違い、なんでしょうかねぇ。
そんなことを考えながら、山本夏彦の『完本 文語文』(文藝春秋、2000,5)を読んでいたら、
「何より口語文には文語文にある『美』がない。したがって詩の言葉にならない。文語には千年以上の歴史がある。背後に和漢の古典がある。百年や二百年では口語は詩の言葉にはならない。たぶん永遠にならないだろう。」(188〜188ページ)
という文章にぶつかりました。そういうことなんですよね。
口語が普通に使われる時代でも、やはり文語の持つ利点というのをうまく生かしていくことが、現代の日本語には必要なんだな、という気がしました。

2004/2/6




◆ことばの話1584「燃やすと焼く」

下半身を焼かれた男性の遺体が見つかるという事件がありました。
このニュースを読んだWアナウンサーから質問です。
「今朝、原稿は『下半身を燃やされた』って書いてあったんですけど、『焼かれた』じゃないですか?」
ああ、たしかに。「焼く」と「燃やす」は違うのでしょうけど、どう違うのかな。
「焼く」は水分が完全になくなって炭化するまで燃やすこと、「燃やす」は火を付けて炎を上げるようにすること・・・かな。
「焼き場」とは言うけど「燃やし場」とは言わないし。「焼き具合」はあっても「燃やし具合」はない。
「焼く」は、焼くものに炎が移らなくてもいいけど、「燃やす」はその物自体に炎が燃え上がっていないとダメなんじゃないな。
「家を燃やすと、家が焼けた」
というふうに「燃やす」という行為と「焼ける」とういう状態は違う。「焼く」は「焼けた状態にする」事で、「燃やす」は炎を上げること、そのあとどうなるカまでこの言葉は責任を持っていない感じが、ちょっとする。でも、
「ごみを焼く」「ごみを燃やす」
これはどちらも使える気がするのはどうしてでしょう?
「燃えるごみ」「燃やしてもいいごみ」
とは言っても、
「焼くごみ」
とは言わないような。でもごみを
「焼却処分」
にはしますね。つまり、「焼く」と「燃やす」(燃す)には、意味の上で交わる部分もあるけれども、完全には一致していないニュアンスの領域があるということのようですね。
「焼けぼっくい」に火はつくけど、「燃えカス」には火がつかないと。
わかったような、わからないような。
この場合は「下半身を燃やされた」よりは「下半身を焼かれた」の方が適当かな、と思いますがね。イヤ、その行為自体はどちらにせよ、良くないのですが。

2004/2/6



◆ことばの話1583「出所と出獄」

去年起きた、イタリア語教師の女性殺害事件の被告に、無期懲役の判決が出ました。その中で裁判長は、
「仮出獄は慎重に」
という異例の注文をつけました。この「仮出獄」の表現が各紙バラバラです。
2月4日の夕刊各紙は、読売・朝日・産経はそのまま「仮出獄」日経は「仮出所」。そして毎日は、見出しが「仮釈放」で記事は「仮出獄(仮釈放)」と表記していました。
刑法自体には「仮出獄」という言葉が載っています。『新聞用語集』には「出所」しか載ってません。
「ニュース・スクランブル」のSキャスターは、
「『仮出所』や『仮釈放』という表現、はマスコミサイドの自主規制なのでしょうか?」
と話します。
たしかに「獄」という言葉のイメージがよくないということがあるのかもしれません。なんせ「牢獄」ですから。
細かいことを言うと、
「『出獄』はしても『出所』はしていない状態もありうる」
つまり、「『牢獄』は出ても、まだ刑務所内にいる状態」です。屁理屈ですが。普通は、
「出獄=出所」
ですね。ともに受刑者の立場から見た言葉です。これに対して「釈放」は「捕らえている側=国家権力の立場」に立った表現と言えるでしょう。(「出獄」は「獄から出る」であって、「出す」ではないと思います。)
またSキャスターと話したところ、
「『獄』には『まだ罪を償っている人が閉じ込められている所』というイメージがあるので、『獄中』『脱獄』は特に違和感がないが、もう刑期を終えた人が牢から出る時に『獄』の字を使うのはちょっと・・・という気持ちもあって『出所』という表現を使うことがあるのではないか。ただ裁判長は、刑法にある法律用語として『仮出獄』という言葉を使ったに過ぎないのでは。」
とのこと。非常に説得力がありました。
この話を妻にしたところ、まったく違う方向の質問をされました。
「『獄中結婚』って言葉があるでしょ、あれって新郎新婦二人とも牢屋に入っている状態で結婚することだと思っていたの。だって、『社内結婚』は二人とも『社内』でないといわないでしょ?だから・・・」
こういった質問にも、夫として答えなくてはなりません。
「そんなことはないよ『獄中結婚』はどちらか一方が牢屋に入っていれば、それでいいんだよ。『社内結婚』が『新郎新婦二人とも社内じゃないといけない』というのは、『同一社内結婚』の『同一』が省略されているからだよ。そうでなくて単に片方が、ある会社に勤めているだけで『社内結婚』呼ぶなら、すべてのサラリーマンは、たとえ社外の人とお見合いで結婚しても『社内結婚』になって、おかしいだろ?」
と答えると、
「ふーんそうなのかあ。『獄中結婚』は『片方が獄中』でいいのに、なんで『社内結婚』は『二人とも社内』でないとだめなのかなぁーって、ずーっと気になっていたの。」
「・・・・・。」

妻がまさかそんなことを気にかけていたとは・・・・思ってもみませんでした。

2004/2/6



◆ことばの話1582「炊くと煮る」

アナウンス部で話をしている中で、
「関西弁では『煮る』のことを『炊く』とよくいうが、『煮る』と『炊く』はまったく同じなのか?違いはあるのか?」
という質問が、北海道出身のSアナウンサーから出ました。
「もちろん、共通語でも『ご飯を炊く』とは言いますけど、『大根を炊く』とは言わないですよね。」
すると関西出身の私とWアナウンサーが一斉に、
「言いますよ!」
一体「炊く」と「煮る」の違いは?
この話でよく出てくるのが、「おでん」と「関東煮」。「関東煮」は「かんとだき(関東だき)」とも言いますね。「おでん」はもともと「(味噌)田楽」。それが関東でいろんな物を煮た物で「おでん」となり、その関東の「おでん」が関西に「逆輸入」されて「関東煮」「かんとだき」となって関西風の薄味の出汁になり、それがまた関東に輸入された、というふうな歴史があると聞いたことがありますが、「煮る」「炊く」問題はどうなんでしょう。
「『煮る』は、水分=汁が結構残っている中でグツグツと具を『煮る』のであって、『炊く』は、水分がしみこんで、あまり鍋には残らないぐらいまで『炊く』ような気がするな。」
と私が言うと、
「すると、『炊く』は『煮詰める』ですか?」
とSアナ。
「うーん、そう・・・とも限らないか。」
「『炊く』のは『大根』とか、『お芋のたいたん』とか、野菜に多くないですか?」

とWアナ。
「そう言えば♪おいものたいたん、ご存じないか♪・・・って、うちのおばあちゃんに歌ってもらったことがあるなあ。『炊き合わせ』も野菜だよな。」
と私。
わかったようなわからないような微妙なところですね。「ごった煮」状態です。
その話があって数日後、私がいつも送ってもらっているメールマガジンに「ビミョーな言葉研究所」さんというのがあるのですが、その2月6日号が、まさにこの「煮ると炊く」がテーマでした。ここに転載させてもらいます。

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           【ビミョーな言葉研究所】     2004年2月6日
                                第59号
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今週のビミョー 「煮る」と「炊く」

 ●煮る
  食物を水または調味料を加えた汁に入れて加熱し、食べられるようにす  る。
  ▽例▽
   魚を煮る・里芋を煮る・豆を煮る・薄味で煮る  
 ●炊く
  米などに水を加えて加熱し、食べられるようにする。
  (西日本で)煮ること。
  ▽例▽
   飯を炊く
   大根を炊く(西日本)
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私的考察  ▲今週のテーマはSさんからのリクエストでした〜♪

 「なんかおかずあるぅ?」
 「大根、炊いたんあるでぇ」
 この会話は西日本限定なんでしょうか。(笑)
 私は生まれも育ちも西日本ですが、大根は「炊く」、魚や豆は「煮る」と
 言います。おでんは、おでんは……炊くぅ?
 なんとなく、薄味のものは「炊く」、濃い味のものは「煮る」と使い分け
 ているような気がしますが……。

 さらに、さらに、「ゆでる」と「ゆがく」。
 「ゆでる」は、熱湯で味をつけずに火を通す。(例:卵をゆでる)
 「ゆがく」は、野菜などのあくを抜くために熱湯に浸す。
 (例:わらびをゆがく)
 「野菜を下ゆでする」と言いますが、私、ポテトサラダ用のジャガイモは
 「ゆがく」と言ってました。あれれ、間違えてたのか。(^^;)
 最近は電子レンジでチ〜ン♪ですけど。
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と、発行人の和田美智子さんは書いてらっしゃいます。

2004/2/6

(追記)

日経新聞の土曜日夕刊に連載されている、調理学研究者・早川文代さんの「食語のひととき」、愛読しています。スクラップして保存しています。その2003年4月5日の記事に「炊く」がありました。それによると、「炊く」は「手(た)く」にルーツがあり、「火を焚く」も同源だそうです。そして、
「煮ると炊くの違いは何か。関西では煮ることも炊くことも炊くというが、一般的には両者の違いは仕上がりの水の量だ。炊くは、コメや豆など、水を残さないことが多い。加熱中にそっとしておくことも炊くの特徴だ。」
とあります。さすが調理学者!(調理学という学問を初めて知りましたが)とりあえず、関西での「炊く」ではなく、標準語の「炊く」と「煮る」の違いはよくわかりましたね。

2004/2/15

(追記2)

『お国ことばを知る 方言の地図帳』(佐藤亮一監修・小学館、2002、7、20)に、ご飯を「炊く」という表現をどう言うか、ということを日本地図でその分布を示した氷河乗っていました(204ページ)。それによると、「炊く」は全国で使われていますが、関東から東北の太平洋側にかけては「ニル」という地方もあるようです。秋田県は「カシグ」。また、大根などを鍋にかけることをどう言うか、というものも載っていて(180ページ)、それによると、愛知県から東はほとんど「ニル(煮る)」なのに対して、近畿地方と四国の中心部、瀬戸内海沿いと九州の各地で「タク(炊く)」が使われているようです。説明文を読むと、 「古くは『煮る』と『炊く』を区別せずニルと言っていた。ないしは『炊く』という料理法はなかった。その後、本来は『燃やす』の意味であったタクが近畿地方では意味を変化させて『煮る』(あるいは『炊く』)の意味を担うようになった。その後、『煮る』とは別の料理法が普及するにつれて、多くの地方では『煮る』をニル、『炊く』をタクと区別して呼ぶようになった。しかし、一部の地方では二つの料理法を区別して呼ぼうとする動きはなく、現在も両者をニルまたはタクと言っている。なお、八重山諸島の『煮る』『炊く』ともワカスと呼ぶ体系は、両者をニルと呼ぶ体系よりもさらに古い可能性もある。」 と記されています。

2004/3/7



◆ことばの話1581「クラブと呼ばれる飲食店」

去年12月の用語懇談会放送分科会で、委員から、
「最近の若者が行くという『クラブ』のアクセント、彼らは平板アクセントで『クラブ(LHH)』というのだが、ニュースで取り上げる場合は、従来と同じように『クラブ(HLL)』と頭高アクセントにすべきではないか」
という話が出ました。それに対して、私は、
「外来語のなかには、サッカーの応援者の意味の『サポーター』と、ひざなどを保護する『サポーター』、運転手の『ドライバー』とねじ回し・ゴルフの『ドライバー』、下着の『パンツ』とズボンの意味の『パンツ』など、アクセントの違いで物の違いを表すものがあるから、この『クラブ』もそれと同じように使い分けてはどうか。」
という意見を述べたのですが、大半の委員は、
「アクセントで意味を区別するのは一般の人には難しいし面倒なので、結局1つのアクセントに収束するのではないか。その意味で、『クラブ』も頭高アクセントのままでよいのではないか」
という意見だったようです。
ところが、昨日(2月6日)の正午のニュースで、NHK武田アナウンサーが、
「合成麻薬MDMAが若者の間で急速に広まっている。その売買場所としての『クラブと呼ばれる飲食店』」
と読んだ中での「クラブ」が「平板アクセント」でした。ちなみにMDMAは「エクスタシー」とも呼ばれているものだそうです。
NHKの知り合いに聞いたところ、
「おそらく、意味の違いを考えてアクセントを変えたのでしょう。」
ということでした。
でも「クラブと呼ばれる飲食店」というフレーズの響きは、なんとなく、
「明美という名で18で」
というような演歌のタイトルをイメージさせるように思うのは私だけでしょうか。
(この「○○なのは私だけだろうか」というフレーズは1980年代前半の『ぴあ』の、「はみだし(投稿)欄」で流行りました。)

2004/2/6

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