◆ことばの話1505「作品を見入っていました。」

NHKのお昼のニュースを見ていました。正午から15分間が東京から全国のニュース、そのあと午後0時20分までの5分間が、地元の放送局からのローカルニュースです。当然、ここだと、BK(NHK大阪放送局)から、近畿関係のニュースになります。
そのニュースの中で展覧会のニュースがあり、ちょっと鼻声の男性アナウンサーが原稿を読んでいました。その中で気になった表現は、
「作品を見入ってました。」
というフレーズです。それも言うなら、
「作品『に』見入っていました、だろ!」
と、画面の前で"突っ込み"を入れたのですが、もちろん本人には、聞こえなかったと思います。
なぜ、このように助詞を間違う事態になるのか?この男性アナだけでなく、最近時々耳にするケースです。もちろん、アナウンサーは読み間違えたのではなくて、記者が書いてデスクの目(チェック)を通った言行を呼んでいるのですから、ひとり、アナウンサーの責任ではなく、記者・デスクも同罪なのです。つまり、こういった助詞の間違いは、かなり広く広がっているということですよね。
これは「複合動詞の前置助詞」の問題と考えることができます。Aという動詞とBという動詞の二つの動詞がくっついて一つになった「複合動詞AB」の場合、
「A+B=AB」
ということですが、このABの前にくる助詞は、「Aに対応する助詞」を使うか、「Bに対応する助詞」を使うかという問題になります。普通は「Bに対応する助詞」を使った方が、収まりがいいのです。なぜならば、ABという複合動詞の場合、そのABという複合動詞が1語として認識されr手羽されるほど、Aの意味がBに吸収されて、AはBの接頭語的な役割になっているからです。
今回の「見入る」のケースで言うと、
「見る」+「入る」=「見入る」
となっていて、「見」が接頭語的な役割になっています。だから、
「〜を見る」
「〜に入る」

ろいう二つの動詞のうち、後ろの方の「〜に入る」の方が支配的です。だから、複合語としても、
「〜に見入る」
の方が自然であろうと思います。
これは「靖国神社に参拝する」か「靖国神社を参拝する」という問題とおんなじですね。
(平成ことば事情406「"に"と"を"」ご参照ください。)

2003/12/19

(追記)
お正月に高校サッカー中継を見ていたときのことです。
「山田監督率いる近大付属」
というアナウンサーの言葉があったのですが、なんか気になりました。これは、
「山田監督が率いる」
と「が」を入れないとなんか落ち着きません。似たような雰囲気を持つ表現で(意味は違いますが)
「長谷川を擁する近大付属」
の場合は「を」省略して、
「長谷川擁する近大付属」
でもよいのではないでしょうか。主格の助詞を略すると、行為の主体がわかりにくくなる、ということが背景にあるようです。ま、これはそれぞれの「語感」に負うところが大きいのかもしれませんが。

2004/2/15



◆ことばの話1504「知らなすぎる?知らなさすぎる?」

脇浜アナウンサーから、こんな質問を受けました。
「昨日のニュースで、神戸で硫酸ピッチを放置していた業者のインタビューの音生かし部分で、業者が『法律を知らなさすぎた』って答えていたんですが、この『知らなさすぎる』は、『知らなすぎる』の方が正しいのではないでしょうか?」

知らなさすぎた?
知らなすぎた?


もともと口語で正しい日本ではなさそうなので決まりはないのかもしれませんが。
分からなすぎた
分からなさすぎた
…とは言いませんよね。

うーん、すぐには応えられないよなあ。これについて、坂アナウンサーが、既に一日悩んで出した答えは、
「形容詞の『ない』と助動詞の「ない」が混同されているのではないか。たとえば、『少なすぎる』の場合は、『すく+ない』ではなく『すくな+い』で、『すくなすぎる』となるこれは決して「すくなさすぎる」といは言わない。『はかない』『きたない』といって形容詞も同じこと。これに対して『行かない』『食べない』『飲まない』などは『行か+ない』『食べ+ない』『飲ま+ない』というふうに、『動詞の連用形+助動詞のない』という形で、『すぎる』を付けると『行かなすぎる』『食べなすぎる』『飲まなすぎる』となり、『さ』は入らない。これと同じように『知らなすぎる』が正しく、『知らなさすぎる』は誤りと思われる。」
なるほど。
これと同じようなことが、「そう」にも起こりますね。つまり「行かなそう」か「行かなさそう」か、「食べなそう」か「食べなさそう」か、「飲まなそう」か「飲まなさそう」か、という問題。これも、助動詞の『ない』(付属語)ではなく、単独の動詞(自立語)の『ない』の場合は『なさそう』という表現があるために、ついこの『なさそう』という語感のよい言葉をほかの動詞の未然形にくっつけて、『知らなさすぎる』という形が出てきてしまうのではないかということですね。

少し、ややこしくなってきました。文法は難しくややこしいですから・・・。
そこで、NHK放送文化研究所の塩田雄大さんに教えを請うと、このようなメールをいただきました。
「『明鏡国語辞典』の『すぎる』の項に、以下のような記述と用例がありますよ。」
どんな記述かと言うと、

すぎる(二)
<動詞の連用形、形容詞・形容動詞の語幹などに付いて複合語を作る>
物事がある程度をこえる。度をこえる。
「働き−・みじか−」「自信がなさ−」「人の意見を聴かな−」
[語法]形容詞の「ない」に続くときは「なさ−」(お金がなさ−)、接尾語の「…
ない」に続くときは「…な−」「…なさ−」(せわしな(さ)すぎる)、打ち消しを
表す助動詞の「…ない」につづくときは「…な−」(読まな−)となるのが一般的。

ということ。塩田さんはさらに、
「確かに『お金がなすぎる』というのはかなり変に感じますものね。
で、この記述からすると『知らなすぎる』が『一般的』ということになるのですが、 形容詞の『ない』や、一部の接尾語の『ない』の影響(類推)で 『知らなさすぎる』が出てくるのでしょう。
ただ、『来なさすぎる』は、『明鏡』の記述(これに従えば「来なすぎる」になる) とは反していますね。おそらく、語幹1拍(カ変・サ変・上一・下一)のものは、別ルール(「さ」付きに なる)になると考えたほうがよさそうです。
  
しない  ○しなさすぎる ×しなすぎる
来ない ○来なさすぎる ×来なすぎる
見ない ○見なさすぎる ×見なすぎる
出ない ○出なさすぎる ×出なすぎる
 
あと、接尾語の『ない』関連で、『明鏡』に従えば『少なすぎる』『少なさすぎる』
の両形出るはずですが、『少なさすぎる』は、個人的にはかなり変です。
いま初めて気づいたのですが、私(=塩田)のFEP(ATOK13)では『しらなすぎる』は正しく変換されず、『しらなさすぎる』は『知らなさすぎる』と出てきます。
『知らなさすぎる』を正しい形と認定しているのですね。」
とのことです。

また、坂アナウンサーの「解釈」に戻りますと、
「インターネットを検索しまくった結果出てきた仮説がありました。それは『1音節+すぎる』という語感の安定性が悪いために、後の音を引っ張った名残り、というものです。つまり『なすぎる』では気持ちが悪いので、『なっすぎる』というように『すぎる』の『S』を引っ張り、この促音が転じて『さ』になったのではないか、ということです。ただ、『よさそうだ』は『さ』が入りますが、『よさすぎる』とはならずに『よすぎる』です。このあたり、"日本語の不思議"と言うしかありません。」

ハアー。どうやら、ため息が出るほど難しい問題に手を出してしまったようです・・・。
2003/12/19



◆ことばの話1503「赤目四十八滝と涙そうそう」

今朝(12月18日)の「あさイチ!」の芸能コーナー。基本的にこのコーナーはメインの中元アナと大田アナの二人で勧めていくので、私は次のコーナーの準備をしながら、控え室でテレビ画面から流れてくる音を耳にしていました。すると、中元アナが、女優の寺島(てらじま)しのぶさんが、報知映画賞最優秀主演女優賞を受賞した映画のタイトルを、
「赤目しじゅうやたき(四十八滝)心中未遂」
と言ったので、
「え!それは『赤目しじゅうはったき』だろ!」
と思ってスタジオに飛んでいき、マイクに音が入らない時に「はったき!だよ」と言ったところ、プロデューサーが出てきて、
「いや、それでええねん」
とスポーツ紙を見せてくれました。そこにはしっかりルビつきで
「あかめ・しじゅうやたき」
とありました。つまり本当の地名と違って映画のタイトルとしては「はったき」ではなく「やたき」ということなのでしょう。ああ、ややこしい。寺島も「てらしま」ではなく「てらじま」と濁るし。
さらにそのあと、紅白歌合戦に出場する夏川リミさんがBIGINとともに歌う曲のタイトル「涙そうそう」を、
「なだ・そうそう」
と読んだので、
「『なみだ・そうそう』じゃあないのかな?」
と思ったものの、さっきのこともあるし、横から原稿をのぞきこむと「涙」の上に「なだ」とルビが振ってあったし、「沖縄の言葉はそうなのかな?」とも思って、ポソッと、
「『なみだ・そうそう』じゃあないんだ・・・・。」
と漏らしたのですが、あとで確認すると、やはり「なみだ」ではなく「なだ」だったのでした。
ああ、知らないことはまだまだ多いねえ・・・。

2003/12/18
(追記)
『赤目四十八滝心中未遂(あかめしじゅうやたき・しんじゅうみすい)』(車谷長吉くるまたに・ちょうきつ)、文庫版が出ていました。平成10年の直木賞受賞作品です。

2005/03/23



◆ことばの話1502「クウェートの発音」

自衛隊のイラク派遣(派兵)が決まりました。まず先遣隊として航空自衛隊を今月25日にクェートに派遣します。その情報を伝えたNHKのニュースで、スタジオのアナウンサーは、
「クェート」を、中高アクセントの、
「クェート(LHHL)」
と言っていたんですが、現地の特派員、池光敏弘記者、それに逢沢外務副大臣は、平板アクセントで、
「クェート(LHHH)」
と言っていました。『NHK日本語発音アクセント辞典』の後ろの方に、「外国の国名や地名のアクセント」についても載っています。それによると、
「クウェート(LHHL)」
と、「中高アクセント」しか載っていません。これはまさしく専門家・地元アクセントによる「平板化」なのではないでしょうか。
名古屋、長野、高知などの地名も地元では「平板アクセント」で呼ばれていると聞きますが、海外の地名(国名)にも、同じ法則が応用できるようですね。
2003/12/19



◆ことばの話1501「イナズマテレビ」

大型電器店のコマーシャルを見ていた6歳の息子が、
「安っすうー!イナズマテレビ、1万円やて!」
「…それはちょっと違うよ。1万円じゃなくて1万円引き。ほんとは何十万円もするんだよ。それとイナズマテレビって、どんなテレビなの?」
「おっきいテレビ」
「それはイナズマじゃなくて、プラズマテレビ!」
というような会話がありました。子供にとっては イナズマもプラズマも似たようなものかもしれません。あ、私にとっても、実はあまり変わらないんですけど・・・。
また、今朝(12月18日)の朝日新聞の朝刊の読者の声のコーナー(投書欄)に、
「デジタル放送になって、8年後には今のテレビでは放送を見られなくなる。新しいテレビを買うか、機器を買わなくてはいけないなんて、国民に負担を強いるのはふざけている。もうテレビを見なくなるかもしれない。」
と、かなり強い調子の投書が載っていました。書いた人は74歳の主婦・・・・。8年後って・・・・とちょっと思ったのですが、思い直しました。お年寄りにとって、いかにテレビが身近で大切なものか、ということを。そしてお年寄りが、物を大切にして長く使うということを。それを考えれば、国の行政の都合と、それに従ったテレビ局側の都合でデジタル化を進めているわけですから、新しい地上デジタル放送が受信できるテレビを購入する際には、国や自治体から補助を出すとか、何らかの手立てを講じる必要があるのではないでしょうか?それだと、生産者(メーカー)側にとっても、地上デジタルテレビの普及に拍車がかかって、大喜びではないかなあ、などとも考えました。
それと、実際に電器店へ行って地上デジタル放送と今までの放送と見比べてみると、やはり地上デジタルの方が、画像が鮮明なんですね。しかしこれは、
「きれいなものは、よりキレイに」
映すのですが「鮮明な画面」ということは、
「汚いものは汚く」
映してしまうということも意味しています。女優さんなどは本当に大変です。女性アナウンサーも悲鳴を上げています。果たして視聴者の方は、
「汚いものを鮮明に見たい」
と思うでしょうか?答えは簡単、
「否!」
でしょう。とすると、送り手の方が、昔のカラーフイルムのコマーシャルのように、
「きれいなものはより美しく、そうでないものはそれなりに」

映すような技術・細工をすべきではないでしょうか。
そんなことを考える、デジタルな日々なのです。
2003/12/18

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