◆ことばの話1495「数字の数え方3」
平成ことば事情1266「数の数え方」1396「数の数え方2」に続く第三弾。ちょっと、短めです。
*10月6日 NHK・森田美由紀アナウンサー:
「国内で8頭(ハットウ)めのBSEに感染した牛が見つかりました。」
*10月7日 NHK・内藤アナウンサー:
「国内8頭(ハットウ)め。」
NHKは「8頭」は「ハチトウ」ではなく「ハットウ」とするみたいですね。『NHK日本語発音アクセント辞典』には最初に「ハットウ」が書いてあり、( )の中に「ハチトウ」も添えてあります。
*11月6日 日本テレビ・吉田慎一郎アナウンサー:野球五輪予選 日本対台湾
「9対0(きゅーたいゼロ)」
*11月10日 NHK 滋賀放送局の男性アナウンサー:
「450箱(よんひゃく・ごじゅっパコ)」
助数詞としての「箱」を「はこ」と読むか、「ばこ」と濁るか、はたまた「ぱこ」と半濁音になるかという問題は、「3票」を「ひょう」と清音にするか「びょう」と濁るか「ぴょう」と半濁音になるか、という問題と同じだと思います。これについては、後日考えるつもりです。とりあえず、メモ、ということで。
*12月10日 フジテレビ・カビラ氏:サッカー「日本対韓国」戦
「4敗(ヨンハイ)」
清音。アクセント辞典は「ヨンパイ」。
試合は「引き分け」で、日本は初代・東アジアチャンピオンを逃しました。
2003/12/9
(追記)
*11月6日 ABC お昼のニュース 佐藤有記者(男性):滋賀で女性殺人事件
「110番(ヒャクジュウーバン)通報」
これは珍しい読み方でした。普通は「ヒャクトーバン」です。「10」を「トー」と読まなくなって久しいからでしょうか。
*11月18日 NNN24 17:22福岡放送
「寒(カン)サバ、2000箱(パコ)」
「P」音で「パコ」でした。
2003/12/18
(追記2)
*2004年6月9日の「ニュースダッシュ」、Aアナウンサーは、
「皇太子様と雅子様の11回目のご成婚記念日」
という原稿の「11回目」を、
「ジューイチかいめ」
と言ってました。そりゃないやろ。ちゃんと「ジューイッかいめ」と教えてあげて。
*同じく6月10日の「ニュースダッシュ」でNアナウンサーは、「20数人」を、
「ニジュッスーニン」
と読んでいました。これはきっと「20回」とかなんとかだと思っととか、何か勘違いしてつい、言ってしまったんでしょう。しょうがないか。そんな雰囲気でした。
2004/6/12
(追記3)
10月29日、NHK衛星放送で、昔のスポーツニュースをやっていました。その中で、金田正一投手の通算400勝を上げたときのNHKアナウンサー の実況が流れました。昭和44年(1969年)です。それを聞いていたら、「400勝」を、
「よんひゃくしょう(HLLLLL)」
と「頭高アクセント」でしゃべっていました。今だったらきっと、
「よんひゃくしょう(LHHLLL)」
と「中高アクセント」の方が主流かなあ、と感じましたが、どうでしょうか。
2004/11/14
(追記4)
2005年6月14日午前1時8分、NHKラジオ第一放送の「ラジオ深夜便」で、古屋和雄アナウンサーは、
「イチジ・ハチフン」
と時刻を告げました。「ハップン」ではありませんでした。
2005/7/7
(追記5)
4月21日のNHK「ラジオ深夜便」の午前4時のニュースを読んでいた年配のアナウンサーは、
「三十日」「三十人が死亡」「三十年」
と、出てきた「三十」を、すべて「頭高アクセント」で読んでらっしゃいました。つまり、
「さんじゅうにち(HLLLLL)」
「さんじゅうにん(HLLLLL)」
「さんじゅうねん(HLLLLL)」(Hは高く、Lは低く発音する)
だったということです。間違いではないと思いますが、なぜか「おやっ」と思ってメモを取ったのは、最近はみな、
「さんじゅうにち(LHHLLL)」
「さんじゅうにん(LHHLLL)」
「さんじゅうねん(LHHLLL)」
と「中高アクセント」のことが多いからだと思います。
昔は「三十」のついた語のアクセントは、全部「頭高」だったのでしょうか。
2005/7/30
◆ことばの話1494「つゆだく」
神戸に行った帰り、小腹がすいていたので、久々に牛丼屋さんに入りました。並みと味噌汁を頼んで、グワシグワシと食っていると、あとから隣の席にカップルが入ってきました。その女の子の方が、
「並みを『しるだく』で」
と注文すると、お店の人は、
「はい、『つゆだく』一丁!」
と言っていました。微妙に違うけど、十分に通じますね。
さて、この「つゆだく」というのは、もうすっかりおなじみになっていると思いますが、私はこれを、
「牛丼に『つゆ』をダクダクとたっぷりかけること」
だと思っていました。つまち「つゆだく」の「だく」は「ダクダク」と、いう擬音だと思っていたのですが、今日、この若い女の子が注文する声を聞いて、
「『つゆだく』の『だく』は、『つゆ、たくさん』の『たくさん』が連濁して短縮されているのではないか?」
と思いました。もう一度味噌汁を飲みながら考えると、
「いや、やっぱり、『ダクダク』という擬音語だ」
と思い直しましたが、しかし、「たくさん」ということも「ダクダク」という音は連想させるのではないでしょうか。
実は私も「つゆだく」を頼みたかったのですが、なんとなくこの言葉って品がないような気がして、頼むのって恥ずかしいんですよね。よく、あの若い女の子は恥ずかしくないなあ。
そういえば最近はカップルとか女性が、わりと平気で牛丼屋さんに入りますね。スゴイなあ、なんとなく。
2003/12/7
(追記)
イミダス編集部編『新語死語流行語〜こんなことばを生きてきた』(集英社新書:2003,12,22)によると、「つゆだく」は1998年の流行語だそうです。
「牛丼チェーン店で、つゆを通常の二倍ほどかけた『つゆだく』が女子高生に人気。人気歌手の華原朋美が『おつゆがたくさん入った牛丼が好き』といったことから流行」
とあります。華原朋美、というあたりが、5年という年数を感じさせますね。そして、
「女子高生が『おつゆをたくさんかけて』と注文したところから、『つゆだく』の名称が定着した。」
とありました。語源は「たくさん」で、しかも女子高生が広めたということなので、女性が牛丼店で注文する方が「普通」だったのですね、「つゆだく」は。「牛丼チェ−ン」というと、中島みゆきの「狼になりたい」を思い出しているようじゃあ、時代遅れですね。
2003/12/18
(追記2)
中島みゆきの「狼になりたい」は、アルバム「親愛なるものへ」に収録されていますが、その中に出てくる「よしのや」、実は実在の「吉野家」と違って、
「吉野屋」
と表記されていました。本物は「吉」の字も、上の部分が「士」ではなく「土」なのですが、「狼になりたい」のほうは「士」の「吉」で、「や」も「家」ではなく「屋」なのです。気付かなかったなあ、そんなところ。アナウンス学校の生徒に教わり、会社のレコード室にあった歌詞カードで確認しました。
2004/3/10
◆ことばの話1493「アメリカの友達」
ふと、へんなことが気になりました。いつものことですが。
「アメリカの友達」という場合には2種類の意味があるのではないか。つまり、
(1)アメリカにいる友達
(2)アメリカという国にとって友達のような存在の国
という2つの意味だ。さらにその「アメリカにいる友達」にも2種類ある。
A=アメリカに住んでいるアメリカ人の友達、
B=アメリカに住んでいるアメリカ人以外の(たいていは日本人の)友達。
「の」には意味を分ける力を持っているのかな。なぜこうなるのだろうか。原因を分析すると、
(イ)「の」の持つ意味の違い
(ロ)「アメリカ」が場所を示すとともに、「国家」でもあるということ。国家を擬人化している。
これと同じようなケースは、いくらでもあるよね。でも日本人は特に意味を取り違えることもなく、普通に通じているのだから、スゴイよね。
2003/12/7
◆ことばの話1492「雨があがる」
冷たい雨が降った夜が明けて、朝、子供を保育園に送っていこうと、玄関のドアを開けて外に出ると、雨がやんでいました。
「あ、雨、上がってるわ!」
と言うと、6歳の子供が、
「雨が『上がってる』って、雨は『やんでる』とちゃうの?」
そうか、たしかに「雨がやむ」やな。
「やむ」と「あがる」はどう違うんだろう。それをどうやって6歳の子供に説明しようか。
「うーん、たしかに『やむ』とも言うねんけどな。雨が降ってて、それが止まると『やむ』と言うんやけど、たんに止まるだけではなくて、『もう完全に雨が降らない状態になっている』のを『雨があがる』って言うねん。ホラ、空を見てごらん。もう、雨、降りそうもないやろ。だから、『雨があがった』って言うわけや。」
「フーン。」
子供は、大人の先生です。
2003/12/7
◆ことばの話1491「うれしくなかったですか」
11月10日のNHK「ひるどき日本列島」では、独楽(こま)作りの名人の特集を中継していました(再放送のようでしたが。)その中で、親方に入門して間もない人にインタビューしていた、若い女性アナウンサーが、その人が初めて作った独楽を手にしているのを見て、こう言いました。
「見せてもらっていいですか。」
テレビの前で「もう見てるやろが。」と、ちょっと突っ込みを入れました。そして話を聞いていく中で、その独楽を作った時の心境について聞いた女性アナの一言が、また、なんだか引っかかりました。
「うれしくなかったですか?」
今度は大声で突っ込みました(心の中で)。
「うれしいに決まっとるがな!!」
なぜ、この一言が腹立たしいか、考えてみました。まず、
(1)うれしいに決まっていることを聞く時に、「〜なかったですか」と否定形で聞いていること。
(2)「自分だったらきっとうれしい。だからあなたもきっとうれしかったはず。」ということを前提にした質問。
つまり、価値判断の基準があくまで「自分」なのです。相手の気持ち、立場に立っているように聞こえてこないしゃべり方だから、「気に障る」のです。
これと同じようなケースを思い出しました。アナウンス部の後輩の、やはり若い女性アナが、
「道浦さん、ホッチキス、貸してもらってもいいですか。」
と言って来た時のことでした。何か私は引っかかったのです。この、
「〜してもらってもいいですか」
の主体は、そのものを「貸す立場」にある私ではなく、「借りる立場にある話し手」なのです。あなたが貸してもらうことを前提になぜ話が進むのか。貸し手である私の立場で話をしなければ、尊敬していることにはならないではないか。それを言うなら
「お借りしてもいいですか」
でしょ。というような話だったのですが、それとまったく同じようなニュアンスを感じたのです。
自分を真ん中においての丁寧語は、決して相手を敬っているような言い方にはならないのだということを、強調しておいてもいいですか。(勝手にせい!!)
2003/11/28
(追記)
去年(2003年)の年末、12月26日の読売新聞朝刊「気流」(読者のページ)に、私と同じようなことを考えてらっしゃる方の投書が載っていました。兵庫県川西市の福田英明さん(68)です。
「先日、某医院で看護師さんが『○○してもらってよろしいですか』を連発するのがヤケに耳につき、改めて考えさせられた。彼女らは相手の意思を尊重した丁寧な言葉と勘違いしているようだ。」
まったくそのとおり!と思いましたよ、福田さん!!
2004/2/5
(追記2)
2月25日の読売新聞「今日のノート」に篠原嘉彦さんが「意味違いますよ」というコラムをかいています。その中で、例の芥川賞受賞作、金原ひとみさんの『蛇にピアス』の中にこういったフレーズがあることを教えてくれています。
「女主人公が刺青の彫り師の男に言う。『今度刺青のデザイン見せてもらっていいですか?』「〜してください」を遠まわしにして敬語を高めたつもりの今はやりの言い方だが変だと思う人は少なくないはずだ。」
と書いていました。『蛇にピアス』は読んだけど、気付かなかったなあ。確認すると、たしかに単行本(集英社刊)の14ページにそういうフレーズが出てきました。今風、なんですねぇ。
2004/2/25
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